これは書かずにいられない
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さて、また警察とのやり取りを書くことになるのだが、今日は(も?)思いっきり書いてしまおうと思う。
この日は休日だったが、3日前に一度電話をして、預けたままになっているパパのメガネを持って来て欲しいとお願いしていた。
それまでは仕方なく古いメガネを使っていたが、この日は最初に連絡をした会社のSさんとあと2人の人達がお見舞いに来てくれることになっていたから、いつものメガネ姿を見てもらいたかったのだ。
その方が少しでも、元気に見えるかなと思ってのことだった。
3日前の電話の時は
「今は忙しいので持って行けないが、何とかして届ける」
というお話だった。
何の連絡もなかったので、この日の朝に再度電話をした。
警察官「忙しくて無理です」
私「忙しいのは分かっています。それなら事務員とか、誰か他の人に頼んでくれませんか」
警察官「今日事務員は休みです」
私「そんなことはもちろん分かってます。だから3日前に電話をしたし、3日待って何の連絡もないのでこうして電話をしているんじゃないですか」
警察官「他にも火事とかあって、みんな忙しいんです」
私「それも分かってます。私は市のPSメールを携帯で登録しているから、火事が頻発してることはメールを読んで知ってますよ」
私「もういいです、私はメガネを今日欲しいから、届けてくれないのなら、これから自分で取りに行きます」
警察官「そもそもメガネは目撃者に質問する際に必要なものだから本来はまだ返せないものなのですよ」
私「はぁ?!この前はいいと言ったじゃないの。だめならそう言えば、無理にとは言わないわよ」
警察官「分かりました。私は忙しいので、他の警察官に頼んでおくから、受付で言ってください」
・・・・・・
言い訳しないでよね!
無理なら無理って最初から言いなさいよ!
忙しい忙しいって、あなたは丸3日間、トイレも行かなきゃ、お茶も飲まないしご飯も食べないわけ!?
だめならだめと電話1本する時間がないわけがないでしょう??
1度「はい」と言ったことには責任持ちなさいよ!!
あなたは人の神経を逆なでしたいのか?
電話代使って、電話をしているのはこっちよ!
何考えてるのよ!!!!!!
以上、言わなかったけど、ノートに書いてあったこと。
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この日は休日で、父が病院まで送ってくれた。
父が(大阪弁な感じで)
「お母ちゃんな、意識がはっきりしないからどないしよどないしよ、言ったかと思ったらな、次の日には立ったとか自分で飯(めし)食ったとか、どないなってるかようわからんのや」
と言うので
私は(横浜弁で)
「いや、お父さん、本当にそうなんだよ。もうだめかと思ったら次の日は回復してて、私達もびっくりしちゃってるんだよ」
と言いました。
本当にそう。
・・・・・・
病室に入ったら、私が持って行ったラジカセからラジオ放送が聞こえていた。
そして、私が、ICUの時にこっそり持って行っていた家族の写真を、写真立てに入れ直し引き出しの中にしまっておいたものが、ベッドサイドに紐でつけてくれてあった。
ああ、看護師さんがやってくれたんだ。
そして、「髪の毛って洗ってもらえないのですか?」と聞こうと思っていたのだが、もう洗ってくれてあった。
そして、車イスに乗せてくれたり、色々してくれたと言う。
とても親しみのある看護師さんだった。
私も色々な話をした。
パパがどんなにマメでいい旦那様であるかを。
毎日、時間帯によっても看護師さんの担当は変わる。
いつも彼女だったらいいのにな、と思ってしまう。
この日のパパは、食事に関しては、昨日は自分で食べたのに、ぜんぜん食べようとしなかったし、私が食べさせてあげても、とてもまずそうに食べていた。
こぼすことはなかったが、スプーンでおかゆやらおかずやらを口に入れてあげながら、私の方が7つ年下だから、将来介護ってことがあるかもって思っていたのだが、まさかこの時期にこんな風になるなんて
と思いながらも
「はい、ご馳走様!じゃあ歯を磨こうか、はい、これ!」
とかって、ハキハキと言っている自分とパパの関係が、私が威張っている我が家の今までの関係とあまり変わらないなあ、と感じている自分がいて、ちょっとおかしかった。
私達がとても仲の良い夫婦であり、家の中では私が色々なことを決めていたということが、今回のような一大事になった時、私が何とかするんだ、と思えたのかなあと思う。
人間って、何かあった時に何ができるかなんだよ、と常々言っていたので、結構しっかり出来てるじゃない自分、と思って、元気も沸いてくるのだった。
この思考ってかなり単純かもしれないけれど。
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パパの怪我は事件に巻き込まれてのものだ。
パパはまだ事件のことを聞けるような状態ではないし、警察からもはっきりしたことを聞けないので、一体何があったのか、分からないままだった。
いわゆるオヤジ狩りをやっている2人組と同一犯だろうということだったが、それも確かではない。
子ども達が言うには
「うちのお父さんは背も高いし、スーツを着てしゃきっとしているので、例えば俺だったら、オヤジ狩りをしようとは思わないよ」
私の両親もそんなようなことを言っていた。
でも、オヤジ狩りだとしても、うちのお父さんだったらお金は出さないだろうから、そうなると怪我をさせられることになったかもしれないね、という話にもなった。
私はというと、実は色々想像していた。
例えば、相手がバイクの2人乗りをしていて、交差点でパパとぶつかりそうになって、パパが注意した、とか、きっかけがパパ側だったら、という点でだ。
みんなはパパは自分から何かするような人じゃない、と言ってくれているが、きっかけが、パパからではない、と断定できるものなの?
そう考えるとすごく不安になった。
たとえきっかけが何であっても、相手は2人で、大怪我をさせられたことは事実なのだし、パパは今まで一度だって揉め事を起こしたことはないので、大丈夫だよ、と言い聞かせても、もしかしたら、と思ってしまうのだ。
そのことがとても気になっていたので、ブログには書かないほうがいいのかなあと思ったりしていた。
いつもの帰り道、自宅からほんの少しの交差点。
もし、私が電話をしていたら、メールをしていたら、その数秒で、事件には遭遇しなかったかもしれない。
もし、度々していたように、途中のスーパーでの買い物を頼んでいれば。
たら、れば、は言っても仕方がないと思っても、考えてしまう。
でも、買い物を頼んで事件に遭っていたとしたら、それこそ私は立ち直れないかもしれないので、もう起きてしまったことは運命として受け入れるしかないのだと思った。
それにしても、まったくありがたくないことに、警察は被害に遭った人や家族に優しくないなあと身を持って感じることとなった。
犯人のことをはっきり教えてくれないのは、被害者やその家族が激情にかられて復讐、などということがあっては困るからじゃないか、と誰かに聞いた。
そうかもしれない。
でも、それだけを聞くと、加害者側に立っているようにも思える。
もちろん新たな罪を作らない、ということも言えるだろうとは思う。
でも、分かっている事実を教えないのはおかしいと思う。
誰でも本当のことが知りたいのだ。
真実がすべていいことかどうかは分からない。
時にはうそも必要だということなど分かっているつもりだ。
だけど、被害に遭っているのだ。
そのことに関することで事実を伝えてもらえないなんてぜったいに変だ。
その結果、何かが起きても、前述したように、復讐するかしないか、はまた別の問題だと思う。
それに復讐しようと思ったら、どうやったって調べると思うのだ。
何かおかしい。
そのおかしいことにこれからも立ち向かって行かなければいけないと思うと、やはり憂鬱だ。
どうなって行くのだろう。
でも、私は負けない。
何回も言っちゃうけど。
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記録6日目を書き終えて、これまでに書いてこなかったことを少し書きたいと思う。
パパが大変なことになって、どうしようどうしようと思っていたのと同時に、ショックなことが起きると、髪が白髪になってしまったり、抜けてしまったりすると聞いていたから、自分の髪がそうなったらどうしようと思っていた。
私はまだ白髪がなかったし、髪は唯一自慢できる部分だったから。
おそらくそういう心配ができるということは、大丈夫だということなわけで、結局ぜんぜん大丈夫だったのだが、改めて自分が図太い性格だと分かったし、この強気な性格で良かったなあと思ったのだった。
もう一つ、私は4月から19年ぶりに仕事を始めていたので、休みたくないと思ったのだが、とりあえず最初の週は休ませくださいと連絡をした。
とても居心地の良い職場に付くことができ、順調に行き、長く続けられそうだなと思っていたから、辞めることは考えになく、将来のためにも働いていた方がいいかなと思っていた。
その頃は。
付き添いは必要なかったので、夜は自宅に帰り、とにかく寝て、とにかく起きて、子ども達の朝食を作り、お弁当が必要な時はお弁当を作り、食器を食器洗い機に入れ、部屋を片付けてから病院へ行った。
母が洗濯をしてくれると言った。
私達は何もできないけど、あなたが毎日病院に行けるように協力をするから、と言って。
「あなたのことだから、何としても毎日行くでしょう?」と笑っていた。
義妹は食事を作って運んでくれた。
弟は、毎日病院に車で迎えに来てくれた。
子ども達はとても優しく、頼りになった。
暑く、苦しかった夏。
周りの人達の強力なサポートがあったから私は毎日パパに会いに行けたのだと思う。
みんながいなかったら私は頑張れなかったと思う。
洗濯もしないし、食事も作らないでいて、なんだか私が一番楽してるみたいって思ったりもした。
最高に、感謝している。
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この日は午前中から病院に行っていた。
昼食の時間になった。
眠っていたからたたき起こして食べるという感じだった。
どうやって食べるのかなって思っていたら、看護師さんが車イスを持って来た。
え!?昨日まで酸素マスク付いてたじゃないですか?
いきなり座って食べるの?
と私は思った。
車イスに移るのも大変だったし、食事内容はゼリーとかトロみをつけたものとかだったが、食べさせるのかな?と思っていたら、最初のひと口を看護師さんが食べさせてくれて「食べてみる?」と言ったら、おもむろに自分でスプーンを持ち、食べ出したのだ。
それもこぼさないで食べているのだ。
右手でスプーン、左手に器、おもゆもこぼさないようにちゃんと適度な分量をスプーンに入れて。
もうびっくり!の連続だった。
え?え?と思っているうちに食べ終わってしまった。
看護師さんに聞いたら、朝はたくさんこぼしていたらしい。
でも、この調子なら、夜はおかゆにしようねと言っていた。
すごい、一日のうちに進化してる!と思った。
座ったままだったが、歯磨きも自分でした。
うがいも飲み込まずちゃんとできた。
私はへえーと思ってしまった。
食べている時から眠そうだったが、食べ終わったらすぐに眠ってしまった。
いびきをかいて。
これって普段と同じ感じ。
そして、3時頃に急に起き上がったと思ったら、そわそわしている。
私は、あ!っと思った。
「おしっこ?」と聞いたら、うなずいた。
急いで看護師さんを呼んでトイレに連れて行ってもらった。
オムツをしているのだが、本人にその意識はないので、トイレに行かないと、と焦っていた。
すごいなって思ったけど、赤ちゃんみたいって思った。
その後も何度かトイレに行った。
車イスだったが、何度目かに看護師さんが、車イスに移る時にその場に立たせてくれて、足踏みしてと言ったら、ふらついていたけど、出来た。
看護師さんに体を拭いてもらった。
気持ち良さそうだったが、看護師さんは大変だなあと思った。
病棟の看護師さんは、外来と違って、介護士さんみたいだ。
食べることに関しては嬉しい驚きだったが、この日はあまり話さないし、私の話しかけにも反応しなかった。
刺激になればとテレビをつけていても、関心を示さないし、すぐ消してしまう。
リモコンを使って自分で消すことはすごいと思うが、メガネをかけてもすぐ外してしまうし、写真を見ても誰だか分からないみたいだった。
ラジカセも消してしまった。
何にも関心がないということだと思うと、不安が募る。
そしてやはり眠っている時間が多く、なるべく昼間は起きていた方がいいと言われていても、どうしたらいいのか分からなかった。
頭痛もあるので、痛み止めは定期的に飲んでいたし。
まだ頭の傷も治っていないし腫れもあるという。
仕方ないのかなと思うけど、嬉しいことと不安なことが両方あって、結局不安。
無理に起こしていて、脳に負担がかからないのかな
昨日より悪くなっているのではないのかな
また夜眠れないのかな…
不安だらけの私だった。
先生が来てくださって
「想定の範囲内では回復は早いですね」
と言ってくださった。
「来週からリハビリを始めますね」
というお話もあった。
不安だったけど、前に進んでいることは確かだと自分に言い聞かせていた。
死んじゃうかもしれなかったパパの命があって、寝たきりかもしれないと言われたパパが車イスに乗ってトイレに行った。
それだけですごいことなのだから。
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つらかった昨日が過ぎ、短い夜が明けた。
私は、着替えとラジカセを持って、電話で呼んだタクシーを待っていた。
ラジカセにはパパにために作ったCDが入っていた。
好きな曲を聴くことが良い、と聞いたので、パパが好きだと言っていた曲をネットで購入し、CDにしてみたのだ。
ところがタクシーが来ない。
暑い中、重い荷物を持ち自宅の前で15分待っても来ない。
自宅の前の道路の左方面はT字路になっていて、行ったり来たりしているタクシーが見える。
タクシー会社に電話して違う所にいると伝え、そのタクシーはやっと来た。
思わず私は言った。
「遅かったじゃないですか~」と。
そうしたら運転手さんは言った。
「あっちで待ってました」
暑い中、タクシーを呼んだ意味がないので、私はそう伝えたが、運転手さんは、何も言わない。
怒ってるみたいだ。
スピードを出して急ごうとするので、急いでいるわけではないから、安全運転をして欲しいと伝えた。
私はとても腹が立ったが、何とか我慢して、降りる時に言ってみた。
「おじさん、間違えた時は一言謝った方がいいですよ」
おじさんは捨て台詞のように言った。
「すみませんね!」
私は免許がないので、今回のことでタクシーをたくさん利用したが、たくさんの嫌な思いをした。
病室に行くと、パパは静かに寝ていた。
酸素マスクも取れて尿の管も取れていた。
良かった。
その日は私が行くと、すぐににこやかな看護師さんがやってきて、色々と説明をしてくれた。
鼻のチューブは自分で取ってしまったが、そのお陰で、口から食べてみようということになったそうだ。
車イスにも30分乗せてもらったと言うではないか。
頭蓋骨骨折については、髄液が漏れていないことが確かめられたので、起き上がっても大丈夫なのだそうだ。
昨日の大不安は何だったのか?というくらい今日はいいことをたくさん聞けけてすごく嬉しかった。
それでも、この日は、目が覚めても昨日のように話してはくれず、ずっとぼうっとしている感じだった。
私を見ても分かっているのか、ただ誰かがそこにいる、みたいだったし、寝ていても座っていても、身の置き所がないような感じだった。
私は作ってきたCDをかけてみた。
村下孝蔵 『初恋』
小椋佳 『さらば青春』
アバ 『Dancing Queen』『Gimme! Gimme! Gimme!』『Money, Money, Money』
井上陽水 『少年時代』
DREAMS COME TRUE 『未来予想図』『未来予想図2』
「パパが好きだって言ってた曲を入れて来たよ」
だけど何の反応もなかった。
聴いているのかいないのかも分からなかった。
悲しかった。
とても悲しかった。
ドリカムの2曲は私が好きで入れてきた曲。
『未来予想図2』が流れてきた。
きっと何年たっても こうしてかわらぬ気持ちで
過ごしてゆけるのね あなたとだから
ずっと心に描く 未来予想図は
ほら 思ったとおりに かなえられてく
私が大好だったこの部分になったら、涙が少しだけこぼれ落ちてしまった。
私達の未来はどうなってしまうんだろう
どうして怪我をしたのが頭なんだろう
どうして腕とかじゃなかったのかな
だけど私は決めていたから。
「パパ。大丈夫だよ、私がずっとそばにいるから」
パパに分からないように涙をぬぐって私は話しかけた。
泣き笑いみたいな笑顔で。
・・・・・・
この曲はパパが元気になった今聴いても涙が出そうになる。
きっとこの先もずっとそうだと思う。
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子ども達が帰って、夜になった。
食事は、ICUで人口呼吸が外れてからは、鼻からの流動食だった。
点滴ではなく胃に入れていることで、その後の食事が入って行きやすくなるのだそうだ。
うとうととしているようなのだが、頭が痛いのかつらそうな表情をしている。
痛み止めを飲み続けていることも不安だが、今は仕方がないのかなと思う。
それでも、決められた時間でしか飲めないのだから。
昼夜の区別をつけて、規則正しい生活にしなければならないのだが、夜間に痛み止めだけでは、痛みが完全になくなるわけではないのか、眠れないようだった。
だけど、眠らせる薬を飲むと、翌日になっても薬が残り、ぼんやりしてしまう、と聞いていたので、出来れば飲ませて欲しくないと思っていた。
パパはベッドに横になり、私は椅子に座っていたのだが、眠ったかなと思うと、痛そうな表情になり目を開ける、何度もその繰り返しだった。
その度に私は側に行き、手を握り「大丈夫だよ、心配しないで」と言葉をかけた。
そのうち、頭を持ち上げて、起き上がろうかという姿勢にもなってしまい、もうハラハラしてしまい、これではとても家には帰れない、と思ってしまう。
担当の看護師さんが、やはり眠らせる薬を入れましょう、と言い、点滴してもらったのだが、一向に効く様子がない。
痛そうな様子に胸がつぶれそうになり、朝までどうなってしまうのだろうと思うと、心配で苦しくなる。
私がここに泊って見ていたい、と思うが、ベッドがあるわけではなく、朝までいたら、自分が倒れてしまうかもしれないと思う。
どうしていいか分からなくなって、思わず担当の看護師さんに訴えてしまった。
「今日の午前中に電話があって、一般病棟に移れると聞いた時はとても喜んだが、来てみれば、ICUとはまったく違っていて、もちろん分かってはいたが、あまりに差がありすぎて、自分では受け入れることが出来ない。ナースコールも押せないわけが分からない患者から目を離すようなことをして、ベッドから落ちたりしたらどうするのか?」
「事件に巻き込まれ、やっと意識が戻ったというのに、ここで何かあって、また頭を打ったりしたら、もう私はどうしていいか分からないじゃないですか…これでは心配で家に帰れないです…」
もう私は泣きべそをかきそうだった。
看護師さんは
「そうですね。お気持ちは分かります、ICUから来た人はみなさんそう言われますから。でも、ICUは料金もすごく高いし、長くいることも大変なことなんですよ。この病室は、ナースセンターからもモニターで見られるし、何回も見回りに来ますし、ベッドからは落ちないようにひも付きのベストでくくらせてもらいますから。ご心配は分かりますが、脳外科の患者さんはみなさんそうですから」
最後の言葉は心に痛かった。
そう、パパは脳外科の患者。
頭に大怪我をしているのだ。
分かっている、すべて分かっているが、自分が納得できないのだ。
このまま自宅に戻って、万が一何かあったら、私は死んでも死に切れない、と思った。
「看護師さんを責めているつもりはないのです。私が心配で納得できないのです」
そう言った私に
「ここに泊っていただくことは可能なのですが、奥さんも連日で疲れていらっしゃるし、無理なさらない方がいいかと思いますよ」と言ってくれた。
そうなのだ。
私はここに泊りたい。
パパと一緒にいたい。
私がしっかりと見ていたい。
だけど、自分がもうクタクタだということは自分が一番分かっているから、もし、側についていても、自分が眠ってしまうかもしれない、それでは意味がないのだ。
看護師さんは私の話を根気よく聞きつつ、手際よく、淡々と、でも心を込めて、パパの世話をしてくれているように見えた。
その様子を見ていたら、段々と私の気持ちも落ち着いて来た。
そうしているうちにパパも眠ったようだった。
日付けは変わっていて、深夜1時を過ぎていた。
私は看護師さんに、お詫びとお礼を言って、病院をあとにした。
タクシーを呼び、パパに何事も起こりませんようにと祈りつつ帰路に着いた。
もう私には泣く元気もなかった。
途方にくれていた私だったが、心配していた母が起きていたようで、電話をくれた。
母と話をしてすこし元気になった。
とにかく寝よう。
明日がある。
起きてまたパパに会いに行こう、と思った。
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先生のお話では、頭を強く打った人は、意識が戻っても、一か月ぐらいは記憶がはっきりしないのだと言う。
思い出しては忘れまた思い出す、その繰り返しで段々とはっきりしてくるのだそうだ。
自分の名前を言えたから、失語症ではない、言語障害もない、ということではなくて、思い出して来たその記憶のひとつひとつが繋がって行かなければならない、と言うことだった。
一か月。
すぐにパッと治るものではないとは分かっているが、一か月、今から一か月という時間が果てしなく長い時間に思えた。
だって、一か月過ぎたからと言って治っているという保障はまったくと言っていいくらいないのだから。
夕方、母が子ども達を連れて来てくれた。
パパは子ども達の顔を見ると、笑顔になった。
ああ、分かったんだ。
嬉しさが込み上げてきた。
子ども達は2人して突っ立ったまま、父子して何も言わない。
私が「○○と○○だよ」と言ったら、パパに「そんなこと分かってるよ」と言われてしまった。
この頃は、とてもはっきりしている時とそうでない時の差が大きかった。
そして、はっきりしていない時間の方がはるかに多かった。
私はしっかりと話し相手をしつつ、パパの負担にならないように、記憶の回復に力を注がなければ、と思っていた。
子ども達にとって、ICUを出られたからと言っても、ベッドに横たわっている父親の姿はまだまだ見ているにはつらいだろうに、と思った。
それでも子ども達は笑顔だった。
何も気の利いたことは言わないが、泣き言も言わない。
うちの子ども達は最高だと思った。
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この日はパパが起きている(起き上がっているということではなく、横になった状態で目が覚めているということ)時間が数回に分けてあったので、落ち込んでいる顔なんて見せられないと、自分に言い聞かせた。
病室を変えましょうと言ってくだっさった看護師さんからも、夜間は看護師も少ないし、環境が変わったばかりなので今日は9時頃までいてもらえますか?と言われていたので、しっかりしなくちゃと思った。
ノートにはメモしてないのだが、酸素マスクはまだしていたと思う。
ただこれは、念のためにしてあるだけだから、と言ってもらって少し安心したのだったと思う。
そして、看護師さんにこの着衣でははだけるからパジャマを着せてもいいですか?と聞いたら
「あら?持ってるの?持ってるなら着替えていいのよ」と言われた。
良かった。
ズボンだけでもはかせてもらえたら、もうオムツを見られなくて済む。
パパは起きている時は話しをした。
それは仕事のことばかりだった。
「手帳は?」
「電話しないと」
「業者に」
「頼んでない」
「発注しないと」
辻褄は合っているのだが、具体的な名前は出てこない。
私が「全部大丈夫、会社の人に頼んであるから」と言っても聞き入れてくれない。
「俺がやらないと」と言うので
「大丈夫だよ」と私が言う。
その繰り返しだった。
仲の良いSさんの名前を言っても、分からないみたいだった。
ちょっと悲しかったが、それでも言葉を話してくれることは嬉しかった。
「今日は何曜日?」と聞かれ
「木曜日だよ」と答える。
そして、いいのか悪いのか、パパは最近病院のリフォームが多かったから
「この病室は1つ?」
「この病室はやらなくていいのか?」
そんなことまで言いだした。
頭が痛いのか重いのだろう、難しい表情で、仕事のことしか言わない。
嬉しいような、悲しいような、いつものパパじゃないけど、でも、私は丁寧に話を聞いて、話をした。
それでも、家族4人の写真を見せたら、長男と次男の名前を言った。
そして
「もう帰らなくてもいいのか?」と聞くので
「大丈夫、タクシーで帰るから」と言うと
「俺はどうやって来たんだ?」と言った。
事件のことを言っていいのかどうかをまだ先生に聞いていなかったので、怪我をして救急車で来たことだけを伝えた。
まったくわけが分からないみたいだった。
この日は少し喋ってはまた寝て、起きてはまた喋る、という感じだった。
それでも、反応がないもうろうとしいている時もあって、たまたまそのもうろうとした時に所長さんが来てくれたわけで、まったくもってタイミングが悪かったのだなと思うのだった。
まだ点滴をしていたし、尿の管も入っていたし、色々な管もついていて、それがすごく苦痛みたいだった。
昨日はだた自分の名前を言ったことに感激して大喜びだったが、その昨日よりたくさん話をしてくれている今日なのに、また新たな不安が広がったようで、切なかった。
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新しい病棟、看護師さん。
そして部屋の移動。
気持ちがざわざわとして落ち着かなかった。
ナースセンターの隣の病室に移動してもらったのだが、それは同時にそれまでそこに入っていた患者さんが、他の病室に移ることになる、ということだった。
廊下で行き会ったので、どうしよう、と思ったが、「申し訳ありませんでした、ありがとうございました」とだけ言った。
移動して、部屋の中を整えてもらっていたので、私は廊下で待っていた。
エレベーターのある方向から、会社員みたいな人が歩いて来た。
あ、もしかして所長さん?
自分の勘が良いことが、いいことなのかそうでもないのか、やはりその人は所長さんだった。
私は「こんな時に…!」と心で叫んだ。
その所長さんは、私の知らない人で(まあ、自分が退職して20年は経っているので当たり前だが)、最初に連絡したSさんから、「ICUで会えなくても、所長が取りあえず顔を出したいと言っているがいいか?」と数日前に言われていて、私はずっと待っていたが、来ていなかったのだ。
ICUにいる時だったら、私も落ち着いて話せたが、一般病棟に移った直後であり、まだ今日はとても人と会える状態でない、と会社に連絡を入れる前に来てくれてしまって、どうしよう、と思った。
それでも私はにこやかにお話をした。
廊下で。
そこにちょうど先生がいらして、病状の説明をしてくださった。
「面会は、刺激にもなるので有効ですが、今はまだ意識がはっきりとしていないので、大勢での面会でなく、数人ということで、その際は奥様に了解を取っていらしてください」と言ってくださった。
部屋の整理が終わったようだったので、所長さんと部屋に入った。
そこには、私の一番恐れていた状態のパパがいた。
病院の着衣(ゆかた状)の前がはだけ、オムツが見えてしまっていたのだ。
ああ、先に私が入ればよかった。
どうして看護師さんは、着衣を直してくれないの?
そしてこの所長さんは、昨日も一昨日も待っていたのに来なくて、よりによって今日の、しかも一番落ち着かないこの時間に、どうして来るわけ?
「ほらほら、また乱れてるよ~。暑いんだよね~」
私は顔で笑って着衣を直し、心で泣いた。
パパは起きていたので、絶対に分からないだろうとは思ったが、「○○所長さんが来てくれたよ」と言ってみたが、「は?」という感じだった。
大怪我をしたのだから、オムツ姿を見られても仕方ないのだ。
だけど、よりによって、どうしてこの人なんだろうと思った。
もっと親しい人ならまだ許せる。
それも、数日前から来る来る、と言って来なかったのだから私は余計に許せないなあと思ってしまった。
ごめんなさい、所長さんは悪くないのにそう思ってしまったのだった。
所長さんは、悲痛な表情をして帰って行った。
みんなに報告するんだろうなあ、嫌だなあ、と思った。
しばらくは、体が震えるくらいつらかったが、ホント、タイミング悪い人っているんだよなあ、と思い諦めることにした。
その後も、両端が空いていたら危ないので、ベッドの位置の移動をしたり、柵みたいのを変えたりしてもらって、やっと落ち着くことができた。
部屋は落ち着いたが、私は気力を失いそうだった。
昨日はとても幸せな気持ちだったのに、今日は何?
まるで毎日がジェットコースターに乗っているようだと思った。
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前日にパパが自分の名前を言ったことで、この日は今までの4日間とは違っていた。
気持ちが軽かった。
出かける支度をしていたら、病院から電話があった。
一瞬ドキッとした。
「一般病棟に移ることになったので入院の支度をして午後1時にいらしてください」
とのことだった。
やったあ!と思って
「そんなに良くなったのですか?」
と尋ねたら
「いえ…でももうご自分のお名前を言えたし…」
と何だか手応えのない言葉が帰って来た。
それを聞いたら不安が広がる。
大丈夫なのか?
でも嬉しいことなのは確かだから、喜々としてボストンバッグにパジャマなどを詰めたのだった。
そうしていたら、心配して近所の人が尋ねて来てくれた。
回復の兆しがあったことと、一般病棟に移れることを伝えられる時に来てくれて良かったなあと思った。
警察が聞き込みに来たと教えてくれた。
色々話をしていたら、警察ったら
「あまり他言しないでください」
と私に口止めしてたことを言ってるじゃん!と分かった。
なんだよ、警察、と思った。
そしてそれから病院に行った私が目にしたのは、まだ酸素マスクをし、色々な管をつけ、意識ももうろうとしてベッドに横たわり、部屋の移動を待っているパパだった。
え!?この状態で一般病棟?と思った。
少なくとも私は酸素マスクは外れていると思ったのだ。
それでも、一般病棟でもナースセンターの前などの目の行き届く病室なのかなと思っていた。
が、違った。
ぜんぜん違っていて、なんと、ナースセンターから一番遠い部屋だったのだ。
何よこれ?何なのこれ!?
ナースコールもできない患者をひとりになんてしていいわけ!?
酸素マスクが外れても大丈夫なの??
もし起き上がろうとして、落ちたらどうするの!
私はパニックになりそうだった。
病棟が古いから綺麗じゃないのは分かる、集中治療室とは違うのだ、ということもよく分かっている。
だけど、ここでは絶対無理!有り得ないと思った。
追い討ちをかけるように、そこにいた看護師さんは仏頂面で、ニコリともしないじゃないの。
質問もできやしない。
集中治療室の看護師さんはみんなニコニコ優しかったのに、と余計なことを思ってしまう。
どうしようどうしようと思っていたら、別の看護師さんが来たので、大丈夫なのですか?と聞いたら、大丈夫ですよ、と言う。
だけど、何が大丈夫なのかと思うのだ。
ベッドの横の柵みたいのもぐらぐらしてるから聞いてみたが「こんなもんです」と笑っているだけ。
そして言った。
「ここには窓もある、集中治療室は昼夜の区別がつかなかったが、これからは、周りからの音や声も聞こえて来るし、患者さんのためにもいいのですよ。大丈夫ですよ」
と言う。
それはそうかもしれないが、今のパパは私のことだって分っているのかいないのか、という状態なのよ!
その後先生もいらしてくれたが、落ちたり転んだりの事故のないようにしっかり見ますから、と言う。
夜間は申し訳ないが、ベッドから落ちないようにくくらせてもらうと言う。
それはそれで構わない。
でも。
そう言ってもらっても、見るって、先生がずっといてくれるわけじゃないし、一体どうやって見るんだ?としか思えない。
また別の看護師さんが来たので、私も三度不安を口にしたのだが、その看護師さんが、初めて
「そうですね、ここはナースセンターからも遠いし、心配ですよね、お部屋、変えますね」
と言ってくれたのだ。
ああ、とやっと少しだけほっとしたのだが、部屋に文句をつけたようになってしまったことにヘコむ。
そしてその日のヘコみはそれだけでは済まなかったのだった。
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話はパパが喋ったことをみんなに伝え終わってICUに戻って行った時のことに戻るのだが、そこには2人の看護師さんがいて、1人が私に言った。
「奥さん、お名前教えていただけますか?」
一瞬何かなって思ったが、「○○○です」と言ったら
2人揃って、「わあ、合ってますね~!」と言ったのだ。
まだ私が妙な顔をしていたら
「奥様のお名前を聞いたら、答えてくれたんですよ!」
「え~!そうですか!?」と言ってから
「良かった~違う女の人の名前を言わなくて!」
と言ったら
「そういうことじゃありませんよ~~」と笑われてしまった。
でも、「ご自分のお名前は教えて下さらなかったのですよ」と聞いて
1度名前を言ったからって、もう1度言えるかどうかも分からないし、色々喋れるわけじゃないんだな、と思った。
弟のことを見て笑ったが、私のことを見て表情を変えることもないので、分かっているのかいないのか、どうなのかなあと、不安な思いもあった。
でも、多分、私はいて当然だからかな、と自分に言い聞かせたりしていた。
それでもその日はとても幸せな気持ちで自宅に戻ることができたのだった。
翌日にまたつらい思いをすることなど知る由もなく。
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お医者さんが最悪のことを言うのだと認識はしていたが、事件後にパパが喋ったのが、回復しないかもしれないと2度目に言われた日だったから、何だか千倍嬉しかった。
みんなに知らせなくっちゃとICUを出て、携帯が使える所まで行った。
「パパが自分の名前を言ったよ!」
長男と次男と母と弟と義妹に同時送信した。
みんなから返信が来た。
「泣いちゃいました」と打ってあった義妹に電話をする用件ができたので電話をしたら、涙声で出た。
思わず私ももらい泣きしてしまった。
私がもらい泣きって、逆じゃない?と思いながら。
それから、会社のSさんにも電話をした。
確かSさんは私よりひとつ年下だったはずなのだが携帯メールをやらないと言う。
だから電話をかけてみた。
すごく喜んでくれた。
後から聞いた話だが、事務所で歓声が上がったのだと言う。
長男のメールには「どんどん治るよね!」と書いてあったので、まだまだだよ先は長いよとけん制球を投げておいた。
そうだ。
長男は最初の先生のお話のすぐあとに「俺高校やめて働くよ」と言ってくれたのだった。
その時はまだ何も分からないから、先のことは考えなくていいよと言ったのだった。
そして、長男と次男には
「お父さんのことは心配だし、色々なことを考えたら不安だろうけど、私はあなた達にはいつも通りの生活をして欲しいと思っている。お父さんが元気になってバスケの試合を見に行った時のためにも練習を一生懸命やって欲しいし、もちろん勉強も同じだよ。
それがお父さんが一番喜ぶことだと思うから」
そんな風に話していた。
パパが自分の名前を言えたことで、私が言っていたことが、願望だけでなく、現実味を帯びて来たのだと思った。
どうなるか、まったく分からない状態から、前に一歩進んだ、確実にそう感じた日だった。
モジュール製作に誘って頂いたのに、事件のために参加できなくなってしまっていたので、のたろうさんにもメールをした。
返信に「来年があるよ」と言って頂いたこともあり、ああ、先の話ができるっていいなあと思った。
私の弟が車で迎えに来てくれることになり、パパにも会いに来てくれた。
パパは起きていて、弟の顔を見た瞬間に笑顔になった。
それはまだとても弱々しかったが、やあ、みたいな、そんな感じに表情を崩したのだ。
意識が戻ってから初めての表情の大きな変化でありそれが笑顔だった。
それもまた最高に嬉しかった。
弟と私の後日談
Q.何故最初の笑顔が弟なんだ?
A.私と似てるから?
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警察が帰り弟も仕事に戻って行った。
そして私はまた病院へ行った。
パパはICUの中ではあるが部屋が変わっていた。
そしてパパの口からは人工呼吸の管が外されていて、酸素マスクになっていた。
昨日の様子ではとても無理だと思っていたから、期待していなかったし、というか、そういうことはまったく頭になかったので、100倍嬉しかった。
もう昨日みたいに暴れたりしなかったんだ。
良かった。
すごく良かった。
だって、昨日は人工呼吸が外れることは永遠に来ないのかも、なんて思っていたのだから。
良かったなあと思っていたら、最初に診て頂いた救急救命センターの先生がいらして「外したからね」と言ってくださった。
私は大きな声で「ありがとうございました!」と言った。
そして、管が取れてとても楽そうになったパパに良かったねと話しかけた。
眠っていたが、話しかけると瞼の下がかすかに動いて、目を開けようとしているように見えた。
担当の先生がいらして「毎日来ているそうですね」とおっしゃった。
私は「はい」と言ったが、心の中では、「当たり前じゃないですか、先生!」と言っていた。
できることなら、ずっとずっと側についていたいくらいなんですよ!
そして先生は
「先日もお話しましたが、脳のCTを見る限り悪くはなっていないので、生命に危険が及ぶことはおそらくないと思われます。ですが、今後の回復に関してはまったく分からず、このまま意識レベルが低い状態ということも考えられます。大変でしょうが、まずは自宅に帰れることを目標に頑張りましょう」
とお話をしてくださった。
心の中では『やっぱり、そうなの…?!』と落胆しつつ、私は笑顔で「はい!頑張ります!」と答えていた。
また先生は、ご家族や親しい人の声が聞こえることや、好きな音楽など流すことはとても効果的であること、手を握ったり体に触れることも同様であると言われた。
私は、気にかかっていたこと
「では私が長くここにいることは負担ではないのですね?」と質問をしてみたのだが、「ご主人に関しては、そうですね」
と言ってくださった。
回復しないかもしれなと言われたが、落ち込んでなんていられない、とにかく私はパパに話しかけよう、と思った。
その後、お姉さんが来てくださって、色々なお話をして、お姉さんが帰られた。
そして夕方。
あれは何時くらいだっただろう。
目を開けたパパに私は声をかけた。
「パパ、分かる?分かったら、手を握って!」
と、それまでも何度か繰り返していたことを言った。
あ、指が動いた…?
そう、かすかにだったが、指が動いて私の手を握ったように感じたのだ。
「看護師さんっ!手を握りました!!今私の手を握り返しました!!」
私は目頭が熱くなって、嗚咽を漏らしそうだった。
看護師さんも
「良かったですね!奥さん」
と言って一緒に涙してくれた。
夢みたいだった。
夢みたいだったから、もしかしたら切望のあまり私の勘違いかもしれない、なんて思った。
でも、確かに、確かに握ったんだと思った。
本当に、かすかにだけど。
それからも私は色々と話しかけた。
「痛い?」と聞いたら
横に首を動かした。
NOだ、痛くないって意味だ。
「大丈夫?」と聞いたら
首を縦に動かした。
YESだ、大丈夫って意味だ。
それから、天井の電気を見たり
点滴の管のついた自分の手を見たりしていたから
「電気だよ」とか
「点滴だよ」とか話しかけた。
そして。
「ここ、どこ?」
そう言ったのだ。
パパが言ったのだ。
声はかすれていたが言ったのだ。
私は「病院だよ」と答えた。
それから看護師さんの
「名前を言ってください!ご自分の名前言えますか?!」
という問いかけに
「○○」と苗字を言った。
ちゃんと言った。
「下のお名前は?分かりますか?」
「○○」と名前を言った。
ちゃんと合ってるし!
やった、やった、やった、やった、やったぁ!!!!!!
パパが喋った。
パパが喋った。
自分の名前を言ったのだ。
私の前に明るい道が、ふわっと、広がったのが見えた。
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警察のお話
午前中ということだったが、10時半になっても連絡がないので、電話をする。
その後20分くらい経ってから電話があり、今から行くと言う。
弟が立ち会ってくれた。
担当だという1人の警察官ともう1人、2人でやってきた。
この度はどうも、みたいな感じで、中村屋の水羊羹を頂いたのだが、こういうのって、警察からもらっていいのか?と思うと同時に、昨日貴重品を持ってきてくれた時の袋も中村屋の袋だったから、警察は中村屋なのね、などと、余計なことを思ってしまう。
説明としてはこんな感じだったと思う。
弟が
「もし犯人が、俺たちはやってない、勝手に転んだ、と言ったらどうなるのか?」と聞いたら
「それはない、もみ合っているところを見ている人がいて、倒れたことに犯人が関係してるのは間違いないので」ということだった。
こんなひどい犯人を早く捕まえないことには、住民も安心して歩けない、だから、必死で捜査をします、というお話だったので、よろしくお願いしますと、伝えた。
私は何より、止めに入ってくれた人がいたことに感動したし、すごく嬉しかった。
そして、その人や通報してくれた人にお礼を言いたい、と言ったら、名前はわかっていてもう少し落ち着いたら知らせてくれる、ということだったので、その時が来たら心からありがとうと言いたい。
通報が早かったことと、適切に救急搬送してくれたことで今パパの命があるのだと思う。
そして、回復も早かったのだと思うのだ。
起こってしまったことは最悪なことだったが、その後のことは幸いで最良だったのだ。
感謝してもしきれない。
ありがとうございました。
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夕方私が病院から戻った頃に、電話に出た警察官ではない別の警察官の人がパパの貴重品を持って来てくれた。
翌日に担当の警察官が改めてこれまでの経過を説明に来てくれることになっていたのだが、私は気持ちを押さえ切れずにその貴重品を持って来てくれた人に色々聞いてしまった。
まず、『最初に暴漢に襲われたと言わないで、お酒を飲んで酔っていて転んだ、みたいに言ったのは何故か?』と聞いた。
『暴漢に襲われたと言うとご家族はびっくりしてパニックになってしまうかもしれないからという配慮ではないか』ということだった。
まあそれは確かにそうかもしれないが、私としては酔って転んで大怪我だというのもすごくいやだった。
人になんて説明したらいいのよ、そんな大怪我、事件じゃないの?と悶々と考えていたからだ。
それに、おそらく暴漢に襲われたと聞いてもびっくりはしてもパニックにはならないと思うのだ。
不安、と言うのは、何だかわけが分らないから沸いて来る気持ちであるので、事実が分かった方が対処もできると思うのだが違うのだろうか。
それに「おそらく事件ではないかと思われる」なんて言われていて、パパの会社に説明するにも私がアルバイト先を休ませてもらうために説明するにも、「思われる」なんて言い方って有り得ないでしょう?
それから、被害にあった本人や家族に何の説明もなく立て看板を立てたり新聞に載ったりするのは変ではないか?と聞いたと思うのだが、どう答えてくれたかの記憶がない。
ただ、あれ、と感じたことがあった。
パパは最初は意識がもうろうとしていたが、“意識不明”とはっきり先生に言われたことはなかった。
それなのに、警察はずっとそう思っていたと言うのだ。
私が、手足は動いているし、目も開けている、と言ったらその人はとても驚いていた。
そして思ったのだ。
もう1社の新聞には『意識不明の重体』と書いてあったのだから、やっぱり警察がリークしたのではないのか?
なんて、思ってしまったのだった。
(警察小説の読み過ぎかもしれないが)
それから電話の応対。
いちいち説明しないといけないのは苦痛だと言ったらそれについては自分か担当の名前を言えばすぐつないでもらえるからと言ってもらったが、何故こちらから言わないといけないのかなあと思ってしまう。
その警察官は言った。
警察内でも、被害者感情をもっと考えた対応をしないといけないと話してはいるのだと。
そして私は言った。
私は自分達を被害者とは思っていない。
そんな暴漢のために自分達の生活が壊されたなんてぜったいに思わない。
主人は回復すると信じているし、たとえ回復しなくても、私は自分達を不幸だとは思わない。
だから被害者ではない。
だけど、大怪我をしたことは事実なのだから、人として神経をさかなですることは許せることではないのだ。
そう私は自宅の玄関で力説してしまった。
2階には子ども達がいたので、あとから「お母さんは文句を言っていたわけじゃないのよ、ちょっと言いたいことを言っただけだからね」と言ったら、「それはわかってるけど、ちょっとじゃなくてたくさん言ってたよね」と笑われてしまった。
こんな風に一生懸命だったから、精一杯気を張っていたから、つらい毎日も頑張れたのかもしれない。
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保険証が必要だから持って来てもらいたいと伝えるために警察に電話をかけた。
前にも1度パパの手帳のコピーが欲しいとお願いするために警察に電話をしたことがあるのだが、最初に出る受付の人に自分の立場を説明しないとならないということが、これで3度目になる。
今回は一層ひどかった。
私が一から説明していた時、犯人がバイクに乗っていて、と言ったところで「交通課ですか~」と言われたのにはカチンと来た。
だいたい言い方が軽過ぎるのだ。
ファミレスじゃないのよと言いたい。
別に厳粛に出くれとは言わないし、慰めて欲しいとも思わないがまったく腹が立つ。
そして、やっとつないでもらったと思った相手は、何だかとらえどころのない声を出す人で、事件当日とは担当係が変わったと言い
「連休明けだから今資料を読んでいてまだ事件内容を把握してない」
とか言っちゃってるのだ。
連休?連休ですか?
こちらは休みなんてなくて集中治療室でしたが、などと思ったが言うつもりもなく、しかし、連休なのは事実であるが、それを口に出して言うことはないでしょう?と思うのだ。
思わず、警察からは何の連絡もなく、から始まって今までの不満をダダダっと言ってしまった。
途中言いながら、ああこんなに色々言って心証悪くしたら捜査に差し支えるかも、と思うのだがもう止まらない。
被害者云々ではない、人として私は許せないのだ。
で、いつものように、言ってすっきり、ではなく落ち込むのだ。
正しいことを言っているつもりでも、人に意見するのはとても疲れるし、落ち込むのだ。
家族が事件に遇い、集中治療室にいるのだからなおさらだ。
この日は落ち込むことが続いたが、嬉しいこともあった。
パパの以前の上司が驚いて飛んで来てくれたのだ。
もちろん懐かしい私の上司でもあり、パパとは会ってもらえる状態ではなかったが、私のことを気遣ってもらい、とてもありがたかった。
そしてこの日の夕方、電話とは別の警察官がパパの財布など貴重品を持って来てくれることになっていた。
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ICU3日目。
この日は入院手続きをするために早めに行った。
窓口で保険証ありますか?と言われて、あ、警察官が持って行ったお財布に入っていることを思い出した。
ああまた警察に電話しないといけないのか、やだなあと思う。
でも、まずはパパに会いに行くことにした。
パパはまだ色々な管をつけて、目の周りも青黒かったが、日々少しずつ良くなっているように見えた。
目を開けた。
看護師さんはものすごくはっきりした声で「○○さん!」と呼び掛ける。
「○○さん!分かりますか?!」
「分かったら手を握ってください!」
そうか。こういう風に言えばいいんだ、起こしていいんだな。
そうだ。
いつもみたいに「パパっ!何やってるのっ!」って大きな声で呼べばいいんだ!とも思うのだが、病院だし、さすがの私も抵抗がある。
だけど、目を開けても瞳はうつろで、見えているのかいないのか心配だった。
「見えているのですか?」
と聞いてみたのだが
「大丈夫、見えてると思いますよ」
そして
「定期的に瞳孔に光を当てて、脳の状態に変化があるかどうか診ています」
とも教えてくれた。
つまり悪くなっていないってことなのだなと思うと嬉しかったし、目が見えていると分ったことも嬉しかったが、でもパパは強い近視なので、メガネをかけないと見えないだろうに、と思った。
この日もできるだけ体に触れて、色々なことを話し掛けた。
子ども達はバスケを頑張っているよ
パパの花には子ども達が水をやっているよ
私はパパが寝たきりになってもちゃんと面倒を見るよ
だから何も心配しないで目を覚ましてね
だけど不安もあった。
目が覚めて、私のことを分からなかったらどうしよう。
それが一番つらいことだが、でも、もしそうだったとしてもいいと思った。
生きていてくれたらそれだけでいいと思った。
この日は眠らせる薬を止めて、薬が抜けた頃に意識レベルを確かめることもした。
反応があれば、人口呼吸の管をはずせると言う。
そうなってくれたらどんなにいいかと思ったが、中途半端に覚めてしまったようで、暴れ始めてしまった。
この日はそれを断念した。
この日は母も途中から来てくれたのだが、暴れて苦しそうなパパを見て、見ているのがつらい、眠らせて欲しい、と思ったと言う。
私も同じだった。
2人して、とても気持ちがざわざわと落ち着かない午後を過ごすことになってしまった。
身長180近くあるパパの、体の麻痺がなかったとして、意識レベルが低いままで、介護とかが必要になったら、果たして私はやっていけるのだろうか。
覚悟はしているつもりだったが、大きく不安が膨らんだ。
そして、この日はまた警察とのやり取りでもとても嫌な気持ちになった日でもあった。
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ICU2日目。
朝、目が覚めて携帯が鳴らなかったことにほっとして嬉しかった。
次男のお弁当を作り、洗濯をした。
面会時間は午後2時からだったが、この日は午前中から会いに行った。
昨日のうちに家族4人で写っている写真をプリンターで印刷し、裏に「パパ早く元気になってね。頑張ろうね!」と書いたので、電気ひげそりを入れた袋に忍ばせて持って行くことにした。
パパは眠っていた。
殴られたあとみたいに、目の周りが赤くなっていた。
看護師さんが「頭を強く打った人はなるんですよ、赤くなって青くなって真っ黒になる人もいるんですよ」と教えてくれた。
それはとても痛々しかったが、全体的には少し良いのかなあという印象だった。
ICUでは2時間おきに体の向きを変え、1日3回の歯磨き、体も拭いてくれて、ひげもそってくれるということで、その間と医療的処置の間は控室で待っていてくださいと言われていた。
その病院のICUはとても綺麗で最新の機器が置かれているように感じていたが、できたのは2年前だと聞き、何故市外のこの病院なのかと思っていたが、この病院で良かったのだろうと思い始めていた。
何人もの知人に評判が良いのだと聞いて、何だかすごく救われたような気がした。
パパは手足を動かしていたので、マヒはないのだろうと思った。
私はまだ見ていなかったが、目を開けることもあるようで、「意識はあるのですか?」と看護師さんに尋ねたら「意識はあるけれど意識レベルがとても低いのだ」と言われた。
意識は
目を開ける→呼び掛けに反応する(手を握ってと言ったら握り返す)→自分の名前を言う→今自分がどこにいるか、何故いるか、を認識できる…
そんな風に判断して行くのだと教えてくれた。
今は痛みが強いので痛み止めを点滴しているし、鎮静作用のある薬も使っているので、眠らせているような状態であり、意識レベルを判断するには、薬をやめて、薬が抜けてからでないわからないのだ、とも言われた。
私は顔の向いている側に行き、声をかけ、腕をさすった。
パパが目を開けた。
開けたけれどそれはとてもうつろな瞳だった。
そしてすぐまた目を閉じてしまった。
どう呼び掛けていいのか、無理に起こさない方がいいのか、頭を強打しているわけだから、どうしたらいいか分からなかった。
何かできことがあるなら何でもやるのに、やりたいのに、何をしていいのか分からなかった。
この日はパパのお姉さんが来てくれた。
長男もバスケの練習試合の帰りに来てくれた。
練習試合だったが、試合に出られたことをパパに話して聞かせた。
パパも楽しみに見に行っていたバスケの試合、そんな話をしたら聞こえているかもしれない、反応してくれるかもしれないと思った。
その日は長男と2人で家路についた。
そして、確かこの日だったと思う。
新聞に事件の記事が載ったのだ。
人から聞いたのだが、1紙は名前が載っていると言うではないか。
ラジオやテレビで言っていたとも聞いた。
またまたびっくりだった。
警察からは電話1本もないのに、周りからどんどん情報が入ってくる。
警察ってところは被害に遭った人に情報を与えない、と、ニュースや小説でも見聞きしていたが、それって事実だったんだ。
取り合えず警察に電話を入れてみた。
受付の人は暢気な声で応対する。
「○○警察で~す」みたいな。
私は、仕方ないので
「○日に○○で起きた事件の被害にあった○○の家族ですが」
ここまで説明しないとつないでもらえないのだと思うと非常に変な感じはするし、次に出た担当だかの人(名は名乗らず)に、「立て看板はあるし、新聞には載ってるし、どうして私には連絡がないのですか?」と尋ねたら
「いや、はっきりしたことはまだ…」
言えないのだそうで。
だけどね、自宅のすぐそばに立て看板が立っているということは、当然私も子ども達だって目にするわけで。
はっきり言えないとしても、それまでの、「おそらく事件ではないかと思われる」を「事件でしたので、立て看板を立てます」ぐらい言えないのか?!君は!
と思ってしまう私がおかしいのか?
そうだ、この前日にも、駅でビラを配っていたのだ、それだって、長男がそれを受け取って、「自分は息子です」と言ったというのだから、我が家はやっぱり変わっていると思うのだが、そのビラのことだって、一言言ってくれたらいいのだ。
今回警察には配慮が足りない点が多々あり、私はとても嫌な思いをした。
看病でくたくたなところに追い討ちなのだ。
そのことも書いて行こうと思う。
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