« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月

記録・困ったこと

パパが入院して私達家族は大きな心配や不安と闘っていたが、それでも私達はそれまでと同様日々生活していたわけで、その上で困ったことがいくつかあった。

私は免許がないので、車が必要になった時のことがまずひとつ。
この点については子どもが2人共男の子であるので、送迎も殆ど必要なく、私も電車に乗ることに慣れていたから、それほど気になることではなかった。
近所に住む両親と弟夫婦、私以外みんな免許を持っていたということもある。

それから、家事の中でも重いものと汚れるものは殆ど全部パパがやってくれていたことだ。

資源を分別して収集所まで持って行くことなどもそうで、最初の頃、私はしばし途方に暮れてしまっていた。

でもこれも私が頑張ればいいことで、恥ずかしながら生まれて初めて、資源分別所に資源を分けに行ったのだった。
(自宅内で資源を分けるのは私です)

夏だったのでファンヒーターの灯油入れがなかったから、それは良かった。

だけど。

夏だったからこその、とても大変なことがあった。

お花の水やりだ。

パパのガーデニングについてはずっと記事にも書いて来た。

最近こそ料理にハマりあまり手をかけていないが、それでもたくさんの花と木がある。
さらに今年は野菜まであったから、もう泣きそうだった。

「パパの為にも私達で頑張って水やりをしよう!」と親子で誓ったはいいが、私にはそんな余裕はなかったし、元々苦手分野だったりする。

子ども達は「よし!俺達が!」と威勢が良かったのは初めのうちだけで、熱い(太陽が)重い(ジョーロが)痒い(虫刺されが)やらですっかりトーンダウンしてしまった。

「お父さんはこんなこと毎日やっていたのか、やっぱりお父さんはすごい!」

そう思ってくれたのは良いことだったけど。

それでも3人で何とか手分けしてお水をやっていたのだが、やり方が悪いのか、多分水の量も少なかったのだろう、見る見るうちに枯れて来てしまった。

その頃は猛暑だったし、夕立も降らなかった。

パパのためにも枯らしたくない、自宅に戻った時にパパが喜ぶ顔を見たい、とは思うのだが、子ども達に対しても変にプレッシャーを与えるのも良くないと思うし、どうしよう、と私は頭を抱えてしまったのだった。

ええい、もう仕方ない、パパには謝るしかないなと覚悟を決めた。

花は駅に通じる道路に面しているから、どんどん枯れて行く花を見て、何かあったのかな、と気付く人もいるだろうなあと思いつつ、お花達に対してもパパに対してもごめんねと心の中で毎日言いながら病院と自宅を往復していた。

お隣のおばあちゃんが「私が水をあげたいねえ」と言っていたのだと聞いた。
でも、そのおばあちゃんが「今年はすごく暑いから普通にやっていても枯れてしまったかもしれないねえ」と言っていたと聞いて、少しだけほっとしたりした。

そして、近所に会社の人が住んでいるのだが、その人からは「お花が枯れているのは、お花の命がご主人に移っているからだわ、だからご主人は絶対に元気になるわ、そう私は思っていたのよ」と言っていただいた。

はい、本当に。


パパがいない我が家はとても寂しくて大変なことがたくさんあったけど、パパが帰って来るまで、出来ることを頑張ろうと思っていた。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

富士山/10月29日

富士山・10月29日

携帯からです。

デジカメで撮ってパソコンに取り込んで…
という余裕はまだないのですがとても綺麗な空だったので。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

記録・私のこと

色々な人達がお見舞いに来てくれたこの週から私は毎日大変だった。

子ども達を送り出し、自分も仕事に行き、そのまま病院へ行く。

パパを散歩に連れ出したり、たくさんのお見舞いの人達を迎えたりして、パパが夕飯を食べるのを見守り、そろそろ眠くなって来たかなという頃にまた明日ねと言って帰路に着く、そんな毎日だった。

今思うとどこにそんなパワーがあったかなと思ってしまう。

もちろん洗濯は母がやってくれていたし、夕飯も母が見てくれていたからできたことなのだが、自分でもよく頑張ったなと思う。

弟がほぼ毎日車で迎えに来てくれたので、その点は楽だったが、弟にパパの様子を話し、そして自宅に戻ると、母がいてくれるから、また母と話しをする。

そして母が食べろ食べろと言ってくれるので、夕飯を食べ、一息つくともう動けなくなってしまっていた。


この頃は誰もが何をどうしようか、と考える間もなく、ただ毎日私は病院に行く、その為に周りでそれぞれができる限りの協力をしようと動いてくれている、そんな感じだった。

みんなが必死だったけど、それはとてもスムーズに行われていたように思う。

何回でも言うが、両親や弟夫婦には本当に感謝している。
私の子ども達にも。


弟は、自営の仕事の手を止めて来てくれたこともあるし、自宅でテレビを見ていても、何だかお尻がムズムズして来て、迎えに行かないとと思ってしまうのだと言っていた。

近くに住んでいて、旅行や外食には一緒に行っていたが、こんなに毎日弟の顔を見てたくさん話をすることなんて、独身の頃もなかったかもしれない。

私の職場の人には、お互い結婚してるのに、異性の兄弟が今もそんなに仲がいいなんて信じられないと言われたりした。

そうかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

10月27日のこと

今日は記録記事を一休みして今のことを書きたいと思います。

昨日27日にチカパパが出勤体験をしてきました。

リハビリのために入院している病院の退院は今月末か11月月初になると思うのですが、一足お先にです。

スーツを着てネクタイを締め、通勤ラッシュが一段落した時間に電車に乗り、ご挨拶と片づけをしてきました。

私も一緒でしたが、チカパパの後をついて歩いただけであり、何の問題もありませんでした。

仕事仕事のチカパパに

「そんなに必死にやったって、何かあっても会社は何もしてくれないんだからね」

と言っていた私でしたが

それは間違っていました。

会社はとても温かいです。


チカパパにとっては降ってわいたような災難だったのに、本人は相変わらずひょうひょうとしています。

そんなチカパパが私は大好きだから、元のようにバリバリ仕事が出来るようにはもちろん、もし出来なかったとしても、私はどんな時でも最高級で最大限のお手伝いをしたいと思っています。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

記録・21日目

この日も合計で6人の人達がお見舞いに来てくださった。

Aさんは、4回目だった。
8月の猛暑の中、本当にありがたかった。

色紙も2枚になった。
2枚ともパパの似顔絵が描いてくれてあって、看護師さん達に「似てる~」とうけていた。

たくさん会話に参加は出来ないけど、少しずつ分かってきているようだった。

1人部屋の時はお見舞いの人に「北京オリンピックを見られるから退屈しないね」と言われても理解できなかったけど、いよいよ開会式という頃になったら分かってきたし、甲子園の高校野球も見るようになっていた。


そして、この日は先生からお話があった。

どうしてここにいるか分かりますか?聞かれ、記憶にはないけど、トラブルがあって怪我をしたらしい、と答えていたし、名前も歳もちゃんと答えていたし、仕事についても「住宅の営業です」と答えたので隣で聞いていて嬉しかった。

事件当日の脳のCTの写真、その後の写真を見せてもらいながら、パパに対して最初からの経過を説明して下さった。

先生は
自分は手術をしたわけではなく、ただ見守っていただけだが、経過は順調で、見る限り回復は早いと思われる。
通常頭部を怪我した人は、イライラしたり暴れたりすることがあり、そうなると、自宅に外泊しても家族では見切れない。
しかしパパはとても穏やかで、かつ、特に治療の必要はなく、リハビリも簡単なものなので、病室ではとても退屈しているように見える。

ということで、1度、自宅に一時帰宅で1泊してみてもいいのではないか。

というお話だった。

先生からは以前もこんなに穏やかな方でしたか?と聞かれたのだが
穏やかといえばそういう部分もあったけど、短気だし、せっかちですけど、と笑って伝えた。

それから、パパのように頭部を強打した人は、高次脳機能障害という障害が残る、という話になった。

それは、外傷が治って外見上は以前と変わらなくても、失語症や言語障害、性格が変わってしまったり、無気力になってしまったり、道に迷って帰れなくなってしまったり、それはもう、様々な症状があるということだった。

たとえ一般的に会話が出来ても、少し複雑になったり、疲れてきたり、アクシデントがあった時などに対処できなかったり、ということであれば、仕事復帰という点では支障が出てしまうことになる。

さらに営業職となればなかなか難しい、ということになるわけだ。

先生が「営業というお仕事は色々な予定を頭に入れておかなければいけないですよね」と仰るので、「でも、以前も手帳がないとまったく仕事にならない、とよく言っていたし、記憶力もよくなかったんですよ」と私がつい言ってしまったら、笑われてしまった。


自宅では安静にしていなければならないということはなく、普通にしていれば良い、やってはいけないことは、頭をぶつけることだけです。

と言うことだった。

パパは自宅に戻れることが嬉しそうだったし、私も嬉しかった。
これまでも何回も書いてきているが、夢のようだった。

だけど、夢のようだということは、まさかこんなに早くとは思っていなかったということなわけで、自宅の寝室がぜんぜん片付いていなかったことを思い出し、さあ大変、と少し焦った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

記録・19日目

この日は義妹が車で病院まで乗せて行ってくれた。

病室に行くと、会社の人が2人来てくれていた。

私も知っているHさんが

「なんだか家にあるお肉のことを思い出したって言ってますよ」と教えてくれた。

おお、お肉!

『肉』と言うのは燻製でベーコンを作るために、豚バラ固まり肉を野菜を煮込んだ液に漬けてあったものだ。

そう、パパは豚バラ固まり肉を漬け込んだまま入院してしまっていた。

私では燻製はできないし、たとえできたとしても余裕もない、でも無駄にしては勿体無いので、漬けたまま母に託していた。

母はそれを蒸したとか煮たとか言っていて、義妹にもあげて、美味しく食べたということだった。

そのことは何回かパパに話してはいたのだが、一向に思い出す様子はなかったのに、一体Hさんの何がきっかけで思い出したのだろう。

でも、良かった。
すごく良かった。

肉の行く末を話したら
「なんだよ~~」ととても残念そうだったけど。


そしてこの日は3回に分けて、合計8人の人達がお見舞いに来てくれた。
高2の姪が「超人気じゃん!」と驚いていた。

色紙を持って来てくれて、それを受け取った時はとても感激だった。

みんなの気持ちがありがたかった。

お陰でどんどん色々なことを思い出しているようだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

記録・17日目と18日目

17日目は5人、18日目は2人、会社の人達がお見舞いに来てくれた。

17日目に5人も来てくれてとても嬉しかったけど、みんなのスーツ姿に私は一抹の寂しさを感じてしまう。

パパはこんな風にスーツを来て会社に行けるようになるのかな。


パパは昼夜の区別もついてきて、ずいぶんはっきりしてきたので、先生が1度お話をして下さることになった。

もしかしたら、週末に一時帰宅で1泊できるかもしれないと聞いて、まったく予想していなかったことだったのでびっくりした。

そうできたらいいなあと思っていたけど、18日目に先生とお話できるはずが、先生の都合で延びてしまってやきもきしてしまう。

その延期のお電話を先生が直接私の携帯にしてくださって、一瞬何事かとびっくりしてしまって、そのことを看護師さんに言ったら、看護師さんもびっくりしていた。

17日目にはスケッチブックと鉛筆を持って来たけど、病室なので描けそうなものがなく、そういえばパパは景色を描きたい人だったなあと思ったが、お見舞いにいただいていた花を描いていた。

私から見たら十分上手なのだが、パパはうまく描けないと不満そうだった。

もしかしたらイライラして怒り出したりするのかなと思って様子を見ていたが、そういうことはなかった。

頭を強く打った人は、思い出せないことや、どうして病院にいないといけないのか、とか、頭の痛み等々で、イライラしたり暴れたりすることがあるそうなのだが、今のところパパはそういうことはなかった。

「思い出せないことが嫌じゃないの?」
と私が聞いたら

「別に嫌じゃないよ」
と普通の顔で普通に言っていたから、元々の何事にもこだわらない性格が幸いしているのかなあと思ったりしていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

記録・16日目

この日はすでに会社を定年退職しているUさんが来てくれた。

もう面会時間が終わっている7時過ぎだったから、「来てもらっても大丈夫ですか?」と看護師さんが病室に確認に来てくれた。

誰かなあと廊下に出て見ていたら、私もよ~く知っているUさんだった。

「Uさ~ん!」と思わず手を振ってしまう。

「おお、どうした!大変だったと聞いたぞ」

と汗を拭きながらやってきた。

Uさんは昔からそうなのだが、パパが入院したことを、誰も教えてくれなかった、冷たい、から始まって、自分の再就職先での仕事の話しまで、1人で喋って帰って行った。

嬉しかったけどおかしかった。

このUさんと親しいのがもう3回も来てくれているAさんなのだが、そのことを話したら「あいつはこの病院が自宅に帰る途中だから、早く帰りたくて見舞いに来てるんだ、間違いないぞ」と力説していた。

たとえそうだとしても、来てくれることはありがたいから、私達にはなんてことはないのだが、そのAさんも教えてくれなかったことが俺は悔しい、と何回も言っていた。

いい歳をして、まったく可愛いおじさん達だ。


この日だったか次の日だったかを良く覚えていないのだが、私が病院に行ったら、良くしてくれている看護師さんが来て「今日は午前中大変だったんですよ~」という話になった。

パパがベッドにいなくて、トイレだろうと探してもいなくて、一時大騒ぎになったというのだ。

看護師さんが言うには
今までの様子を見ていると、勝手に外に出てしまうような人じゃないのに、一体どこに行ったんだろう、ということで、もう一回トイレを見てみたら、いた、と言うのだ。

便通が悪くて、トイレで踏ん張っていたらしい。

それからも、何回もトイレと病室を往復して、もうやだ、って言ってたんですよ。
と看護師さんは笑っていた。

パパも笑っていた。

看護師さんがもう1人加わって、少し話をしたのだが
「めちゃめちゃ仲のいいご夫婦ですよね~!」と言われた時には、慣れているはずなのに、何故か赤面してしまった。

奥さんも毎日来てくれているのだから、早く色々思い出すといいですよね、という話になって、何か好きなことがあったら、病室に持って来ていいですよ、刺激にもなるし

と言ってくだれたのだが

DSとかのゲームは?
パソコンは?

どっちも得意じゃないくて

料理とか釣りとか、アウトドアなことが好きだから、病室にはとても持っては来れないのだ。

でも、絵は好きで、書きたい、と言っていたから、明日はスケッチブックを持って来よう、と思った。

私は色々な場面で言いたいことをはっきり言っているが、こんな風に看護師さん達と談笑が出来ることはとても嬉しかった。

どっちかって言うと、パパのお陰かな。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

記録・15日目

この日から、パパの記憶を呼び戻すため刺激を与えようとたくさんの会社の人達がお見舞いに来てくれることになる。

正確には前日からで、まず本社のJさんに聞いて飛んで来たとIさんが遠路はるばる汗をふきふきやって来てくれた。

そうだ。
この時初めてパパは家族以外の人の名前を口にしたのだった。

「Aさんっていつ来たんだっけ?」と。
Aさんは会えない時も含めてもう3回も来てくれている人で、なるほど、と思ってしまったが、それはとても嬉しいことだったから、私はAさんにすぐ報告をした。

そしてこの日は会社の仲間が一人昼間に、夕方には会社の事務の女性と、パパとコンビを組んで仕事をやることが多かった女性が2人で来てくれた。

仲間のGさんとは、一階で会った。
それは、看護師さんに「奥さんと一緒に一階まで降りて行っていいですよ」と言われ、パパと2人で歩いていた時で、パパが一番にその人を見つけた。

「あ、ほらいるよ」と名前は出なかったが、私も初対面の人だったからちょっとびっくりした。

その人は美味しそうなお料理が載った雑誌を持って来てくれたが、パパはまだ興味を示す様子はなかった。

そして、夕方来てくれた2人の女性は私も知っている人達だったから、話し込んでしまったが、話しながら2人とも涙目になっていて、私も泣くのを堪えるのに困ってしまった。

パパは事務の女性が「仕事は大丈夫みんなで手分けしてやったから、心配しないでゆっくり治してね」と言ってくれたことで安心したようだった。

それまで私が幾度となく言っても、自分が行かないと、と言い続けていたから、やはり仕事ののことは会社の人に話してもらうのが一番だなって思った。

一つ肩の荷が下りたような気がした。

そして、いつも仕事をしていた女性に向かって、お客さんの名前を言った。
それも、この日この時が始めてだった。

今までは仕事仕事と言いつつも、具体的物件を口にはしていなかったから。

すぐまた忘れてしまったのだが、それはかなりの回復だと思った。


それからこの日はさらにとてもとても嬉しいことがあった。

看護師さんが、階下に下りて散歩していいと言ってくれたこと自体もそうなのだが、その時、念のため車イスをたたんで押して行く様にと言われ、2人で歩いてエレベーターに乗ろうとした時、パパは私を庇って、ドアを押さえてくれたり、車イスを押すのを手伝ってくれたのだ。

え?と思った。
まだ殆どのことを思い出してもいないし、歩き方も心もとないのに、そういうことをしてくれるとはまったく想像もしていなかったので、不意に泣きそうになってしまった。

そのことをGさんに話したら、それはパパの人間性だから、そいういところは変わらないんだね、と言ってくれた。

それから、手をつないでゆっくりゆっくり歩いて少しだけ外に出て風に当たった。
歩き始めた頃は、トイレに行っただけでぐったりとしていたのに、その時からまだ数日しか経っていないというのに、ゆっくりだったがしっかりと歩き、念のため持って来た車イスに座ることはなかった。

そして、食堂があったので、そこに入った。
パパは喋らなかったが、クリームあんみつを指差したので、それを注文し、2人で席についた。

パパはおいしそうにそれを食べて、殆ど食べたが、残った寒天を私に食べるように促した。

2人でお茶をする(食堂だけど)ことが、また出来るなんて。
それもこんなに早くに。

私は「寒天しかないじゃん」と言いながら涙を隠した。


夢みたいだった。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

記録・14日目

この日は病院まで義妹が車に乗せて行ってくれた。
一人部屋の時来てくれた際に、まだ頭痛も強くもうろうとしていたパパを見てショックを受けていた彼女だったが、また会いに来ようと思ってくれたことが嬉しかった。

この日初めてパパは今いる場所(地名)を言った。

しばらくして再び聞いた時もすぐに答えてくれた。

やった。
記憶に関してやっと一歩前に進んだなと思った。

そしてどうして退院できないのかということをもう何回目になるだろう、一から説明したら、落ち込んだ様子になったので、少しは理解できたのかなと思った。
がっかりした様子はちょっと可哀相だったけど。

看護師さんでなく、私がトイレに連れて行ってもいいと言われ、トイレに行ったあと廊下を端から端まで歩いてみた。

手をつないで、ゆっくりと。

非常口にある扉の窓から外を見た。

大きな道路が見えた。
そこは以前よく通った道だったから、何となく覚えているようだった。

もう少し広く外の景色を見たりできたら、色々なことも思い出して来るのかなって思った。


最初の頃は、パパが眠ってから私は病室をあとにしていたが、この頃は寝ている時間も少しずつ減って来ていたから、ちゃんと「帰るね」と言ってからになっていた。

それでなくても後ろ髪を引かれながらだったのに、パパが自分の状況を理解し始めてくることはとても嬉しかったが、そのことによって精神的にショックを受けるのではないか、暴れたり、やけになったり、何かよくないことが起きたらどうしよう、という新しい心配事が芽生えてしまった。

だけどずっと側にいることはできない。
子ども達のことも心配だったし、まだ先が見えない状態で、自分が倒れることは出来ないから。

とにかく前に進むんだという強い意志を持っているしかなかった。


自宅に戻ってテレビをつけていたら、映画『海猿』の放映が始まった。

パパが大怪我をしてから、もちろん余裕がなかったことは確かなのだが、テレビは殆ど見ていなかったし、暴力や病院のシーンなど、現実と重なってしまって、ドラマや映画って見られなくなってしまうのじゃないかって思っていたから、最初は恐る恐るだった。

でも面白かった。
最後まで見てしまった。

ドキドキしたシーンもあったけど、普通に見ることができた。
何だか久しぶりにほんの少しだけど、ゆっくりした気持ちになった。

何だかちょっとほっとした。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

記録・これも書かずにいられない

まだ1人部屋にいた時のこと。

私がいて、若い看護師さんが2人。

何をしていたのだったか忘れたけど、パパの体に触れた1人の看護師さんが言いました。

「あら、ちょっと熱いね、熱があるのかな?」

もう1人の看護師さんが言いました。

「熱測ってみようか」

そして2人がかりで体温を測り始めました。

「熱ないと思うよ、36度8分ぐらい」
「あると思うな、37度2分!」
なんて言いながら。

2人の看護師さんに挟まれてなすがままパパはもうろうとしています。

私が言いました。

「おじさんって体熱くないですか?」

「え~そうなんですかぁ~知らないですよ~~」
「おじさんって言われてますよ~いいんですか?」

と2人の看護師さんが次々言って

「どうでもいいよー」とパパが言って

「まあ、私もおばさんですけど」と私が言って。

「いくつ離れているんですか?」と聞かれて

「7つです」なんて答えて。

また看護師さんが言いました。

「でも、加齢臭ってしませんよね!」

「え~そうですか?良かった。でも、デオドラントの石鹸使ってもらったりして、気をつけているんですよ、私が」なんて言って。


楽しいひと時でした。


あ、熱は36度8分、なかったのでした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

記録・13日目

私が仕事に復帰して初めての週末、今日頑張ればお休みだと思っていたお昼ごろ、病院から電話があった。

その電話は、病室を今いる1人部屋から大部屋に変わってもらってもいいか?という内容だった。

病院からの電話は「容態急変?」ということが頭にまず浮かぶので本当にびっくりして体に悪い。

容態の重い患者さんが来たから、というお話だったし、ICUから一般病室に移って一週間以上経過していて点滴や心電図などの管はすべて取れていたから、断る理由もなかったので、了解と伝えた。

それでも、大部屋が何人の部屋なのか、パパは大丈夫なのか、抱えきれないたくさんの不安を持ちながら病院へ向かった。


その私が最初に見たのは、廊下にあるテレビとソファが置いてある場所で、車イスに座らされていて元気なく背中を丸めていたパパだった。

パパはメガネをかけていなかったし、車イスのお腹の部分が紐でくくりつけられていた。

何なの?と思った。
カッと頭に血が上った。
もう歩ける患者をどうして車イスに乗せるの?
近眼だって言っているのにメガネがなくてどうやってテレビを見ろというのよ!

パパは私の顔を見て力なく微笑んだようにも見えた。
そして、紐を指差して、嫌そうな悲しそうな顔をした。

遅くなってごめんねと言いながら、私はまず、その場で紐をほどいた。
そして、病室に戻ろうと言った。

パパはちゃんと変わった病室を覚えていた。
そのことは嬉しかった。

病室に行き、メガネをかけさせた。
そして、言った。
「自分からメガネって言わないとだめだよ」と。

そう、私は危険だからと、メガネを最初のうちは、引き出しの中にいちいち入れていたし、最近になっても、サイドテーブルの一番手の届かない奥に置いていたから。

もう一つ、トイレに行って、ズボンをぬらしてしまったのだろう、その部分を指差して不快そうにしていたので、着替えさせた。
このこともとても気になったことだった。

新しい部屋は4人部屋だった。
狭かった。
当然1人のスペースもとても狭かった。
荷物もガチャガチャと置かれていた。
テレビのコードも、ラジカセのコードも繋がってはいなかった。

何これ??

今日は誰が担当なのか、看護師さんはみんな忙しそうだった。

そのうち来てくれた看護師さんに向かって、私はまた言いたいことを全部言った。

危ないことは分かるが、どうして紐でくくるのか?
私が来ることは分かっているのだから、来ない時間にそういうことをする必要はないのに、と私は考えていたからだ。

紐でくくられることが、どんなことか、自分がぜんぜんだめなのだと打ちのめされていたとしたら、治ろうとする気持ちだって萎えてしまうのではないか?

看護師さんは言った。
「奥さんが来るまで起きていてもらおうと思ったものですから」

それなら、メガネをかけてもらえないと、テレビの前に座らされたって、見えないのだから、いまだ頭がはっきりしない状態で、悪い影響はあっても良い影響があるわけがない。

近眼で、メガネがないと見えない、ということは看護師さんの引き継ぎで伝わっていないのか?

それから

ずっと1人部屋かと思っていた、これでは、お見舞いの人が来てくれても座るスペースもない、長くいる私の居場所もない。

主人は病気ではない、事件に巻きこまれ大怪我をしたのだから、なるべくなら快適な状態で過ごさせてあげたいと思っている。
もっと納得の行く説明が欲しい。

それから、ズボンをぬらしてしまったことも伝えた。
看護師さんは、ただ、トイレについて行っているだけなのか?
それは危ないからというだけなのか?
患者の様子は見ないのか?

ズボンがぬれてしまって、気持ち悪そうにしていたら、着替えはあるのだから、着替えさせてもらえないかの?
そんなことはまったく無理なことなのだろうか?

ああ、また私は言ってしまっている。
またあとから落ち込むことになるのにと、色々なことを言いながら、もう1人の私が、私を見ていた。

それから、私はとにかくベッド周りを整えた。

そうしたら、別の看護師さんが話をするために来てくれた。

病室を移ることをご主人に聞いたら、「自分はいいが、妻がどう思うかな」と言ったと教えてくれた。
そして、回復の過程で、大部屋の方が色々な声も聞こえて来るし、ご主人のためにも良いと思いますよ。
部屋によって看護の質が変わることはありませんから大丈夫です。

ということなどを話してくれた。

ここではなく、別の1人部屋に移ることも可能ですが、とも言っていた。

私は取りあえず、様子を見てみることにした。

少し時間を置いたら、パパは誰とどこにいようと気にする人ではなかったので、パパにとってはこの環境が刺激になって良いのかもしれないと私も思えてきたので、その旨看護師さんに伝えた。

だけどせっかくの金曜日、まったく落ち着かない日になってしまった。


この日、病院に来て目にした、パパが車イスにくくられて座らされていた姿はとても衝撃的だった。

看護師さんが大変だということも、忙しいということも分かった上で、ああいうことをいつもやっていたら、治るものも治らない、と思ってしまった。

私はもっと側にいたい、と思った。
そして、側にいる時はパパの一挙一動見逃すまい、と改めて強く思った。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

今の私が思っていること

麺や食堂ブラジル

昨日もチカパパを病院に送って行って、ラーメンを食べました。

リハビリのための入院があと数週間は確実にあるので、私にとっての週1ラーメン生活ももう少し続きそうです。

一日でも早い退院が希望ですが、回復状況がとても良くても、本格的始動は来年かな、今年いっぱいは仕方ないかなと思っていたのでその点は予想通りではあります。

仕事大好きなチカパパですから、少しでも早く仕事に行きたいだろうし、それが一番の薬になるのだと思います。

でもやはり怪我がひどいものだったから、心配もあります。

そして、怪我が頭だったから、表面上では見えない障害が残るのか、残るとしたらそれはどの程度なのか、そのことが、仕事復帰には一番の問題点となります。

私が見る限りもういつものチカパパなのですが。


今日のこの記事は今現在のことを書いています。

『記録』とある記事については、過去のことにさかのぼって書いています。
今『記録』として書いているのは、約二月は前のことになります。

病院名などを具体的に書いていないので、日付けも入れずに、事件から何日目か、という形としています。

いずれそれが追いついてきて、日々のこととして書いていきたいと思ってはいるのですが、なかなかです。


幸いにして回復過程を書くことが出来ていますが、短い間にも本当に色々なことがありました。

事件前までの2人の日々にまで様々に思いを寄せ、懐かしみ、見直す良い機会を与えれられたような気もしています。

前述したような頭の怪我による障害についてや、事件であるので、そのことについても今後どうなって行くのか、まだまだたくさんのことが待ち受けています。

そんなこともずっと書いて行きたいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

記録・12日目

この日、近い距離でタクシーを利用したらあからさまに嫌な顔をされた。
そういう経験は初めてではないが、ただ乗りをしようと言うわけではないし、腐っても客ではないかと思うのに、いい大人が態度に出すは何だか情けないと思ってしまうのは、立場が違うからなのだろうか。
まったくタクシーに乗るにもたいそう気を使うから大変だ。

そんなことをぶつぶつ思いながら私が病室に行くと、痛み止めが切れたのか、パパは頭が痛そうだった。
夕べは飲まなかったらしいが、その時は飲んだ。

髭を剃ったらさっぱりしていい男になったけど、テレビを見ていたら寝てしまった。

目が覚めてはっきりして来た時に、私の名前を聞いてみたら「前と同じだよ」と言った。
名前が出て来ないんだなと分かったが、うまいことを言うなあと感心してしまった。


この日は本社から3人の人がお見舞いに来てくれた。
1人は昨日も来てくれたAさんだ。
Aさんはこれでもう3回も来てくれたことになる。

3人とも私もとてもお世話になった人達だった。
再会に、懐かしさと、こんなことでという複雑な思いとが交錯してしまう。
一番の上司が言った。
「電話持たせて仕事した方が治るんじゃないか」
本当にそうかもしれない。

パパは若い頃のようには行かないが、それでも毎年のように営業成績は良かったから、受注のことが話題になった。

1人の人が言った。
「受注のことなんてどうでもいい」
とても悲痛な表情だったので、ものすごく心配してくれているのだと分った。
(この人は後にパパが色々思い出して普通に話せるようになったと聞いた時涙して喜んでくれたそうだ)
それでも昔の話を楽しくすることができて、誰だか名前は言えなくても、パパは嬉しそうだった。
Aさんが言った。
「奥さんがこういう性格で良かったよ、お前は幸せだな。みんなそう言ってるよ」
こういう性格がどういう性格か分らないが、褒めてくれているのだと思っておくことにした。

それぞれみんな歳を取ったけど、話せば昔と変わらないと思った。


みんなが帰って行った。
パパはトイレに行くとすっきりしたようで、どうして退院できないんだ?と聞いてきたので、最初から説明をした。
怪我をする前の、いつもの表情で真剣に聞いてくれてはいたが、理解は出来ないようだった。

ただ事件のことを話題にしても怯えた表情になったりということはなかったので、その点は安心した。

先生が来てくださった時に「人を認識できでも、名前が出てこないようです」と言ったら、そういう失語症なのかもしれないと言われた。


それって良くなるのかな。
いつか名前を言える様になるのかな。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

記録・色々なこと

記録がなくて、日時もはっきり記憶していないのだが、書いておきたい出来事があったので、ここにまとめてみたい。

まずオムツがいつ取れたかについてだが、10日目ぐらいには取れていたと思う。
あれよあれよと言う感じだったのだけはよく覚えている。

前にも書いたが本人はオムツをしている自覚がなく、尿の管が外されたらすぐにトイレに行きたいという様子を見せていた。

何回か車イスでトイレに連れて行ってもらった後、オムツを取ってもらい、下着と尿取りパッドだけになった。
それからまたまもなく、トイレで排便をした時点で尿取りパッドも取れた。

1パックずつ買ったオムツとパッドが殆ど余ってしまったけれど、それは嬉しい誤算だった。

もしかしたら、私がそばにいなかったら、パパがトイレに行きたいという意思は早々には誰にも伝わらなかったのかもれないと思う。
大体私自身がそんなにすぐにトイレに行けるとは思っていなかったから、トイレについてはまったく気にしてはいなかった。
タイミングよくその場にいて、なおかつ、言葉の出ないパパの様子を見て、あ!と分かっただけなのだ。
たまたまだと思う。

そうでなかったら、オムツが取れるのも、もう少しあとだったかもしれないなあと思う。

その時は、話はできたが、単語があまり出てこないようだったし、ナースコールをすることも分かっていなかったのだから。

その場に誰もいなかったら、オムツを濡らしてしまうことになるわけで、おそらく分からないなりに、自己嫌悪に陥っていだろうと思う。
今までのように排泄ができたことはとても重要で、オムツをしている状態であるとはっきり認識していなかったことが良かったのかもしれないと思ったりもするのだ。

トイレに行くようになったら、私がいない時でも看護師さんが時間を見計らってトイレは?と聞いてくれていたから、オムツも必要なかったのだと思う。

食事にしても、よく食べるけれどお粥が嫌みたいだと私が看護師さんに伝え、看護師さんが先生に伝えてくれて、普通のご飯になった。

食事についても、もしかしたら看護師さんだけでは、早い時期に気付くことはなかったかもしれない。
早いうちに普通のご飯になったことも、咀嚼と言う意味でとても重要だったと思う。

看護師さんは一生懸命やってくれていたが、一人で何人もの患者を見ているのだから、目が行き届かないこともあると思う。

私は母やみんなが助けてくれていたから、長く側にいられたわけで、そうしたくてもできない家族もたくさんいるのだろうと思う。

パパは病気ではなく怪我だったからかもしれない。
でも、家族が出来る限り長い時間、親身になって側にいることが、回復に大きなプラスとなることは間違いないと思う。


ICUでは仕方ないとしても、ここ一般病棟に移ってからも、お見舞いの人には表情を緩めるのだが、私を見ても、何の変化もないことは今までも書いて来た。

最初に私の名前を言ったし、「あなた誰?」と言われたわけではなかったが、私ひとり劇的に喜んでいただけで、パパの私を見る目は、感動もなにもなかったし、以前のものとも違っていた。

時折、分かっていないのじゃないか、と思うことさえあった。

それでも、私の言うことは聞いてくれたので、私も笑顔を心がけた。

何日目の夕食時だっただろう。
パパは最初は車イス、その後は普通のイスに座って、テレビを前にして食事をしていた。

私はその右側に、パパの横から手助けが出来るように座っていた。

そうしたら、パパの右手が伸びてきて、私の太ももに触れ、置かれた。

その時私は、やった!と思った。

それはいつもパパがやっていたことだったから。

いつものパパだと思った。

静かに嬉しかった。

子どもに言うことではないのだが、私は嬉しくて嬉しくて、子ども達にメールをしてしまった。

あまり大きな声で言えることでもないのだが、私はこの時、パパは治る、と確信したのだった。

その次の日はお尻を触った。

ますますパパだった。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

記録・11日目

この日は仕事を休ませてもらって、気になることを済ませてから病院に行った。

まだICUにいて会えない時に病院に来てくれた会社のAさんが来てくれた。

ほい、と渡されたのは美味しそうなパンがいくつか入った袋だった。
私が何も食べてないだろうという配慮だった。
本当に食べていなかったので、嬉しくて泣きそうになってしまった。

だけどあとから食べた時やっぱりまだあまり食べることができなかった。
美味しそうなパンだったのに。


お姉さんも来てくれた。
本社から総務の人も来てくれた。
労災関係の書類を持って。

シャワーを浴びさせてもらっている間に総務の人が来たので、私は別の場所で話をするために病室を出ることになった。

戻ってみると、パパも戻っていた。
さっぱりとした様子でよく笑っていた。

Aさんから聞いたのだが、シャワーから戻って私がいなかったから、どこに行ったのか?と言ったらしい。
毎日私の顔を見ても、これと言った反応がなかったから、それを聞いてちょっと嬉しかった。

お姉さんや会社の人達が誰かは判っていても、やっぱり名前は出て来ないようだった。

会社の人が帰り、パパが眠って、お姉さんと色々な話をした。
お姉さんは、大変なことになったけど、あなたともゆっくり話ができて良かった、というようなことを言ってくださった。

私の友人や学校関係の人からメールや電話が入っていたので、自宅に戻ってからそれぞれに連絡を取った。

色々なことをとてもありがたいと思ったが、すごく疲れた一日だった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

記録・10日目

義妹がパパのお見舞いに行きたいからと、私の仕事が終わる時間に合わせてパート先から車で一緒に行ってくれることになった。

車はとてもありがたかったが、渋滞していたこともあって時間がかかってしまった。
パパに少しでも早く会いたかったからかな、とても遠く感じた。

でも義妹とも話ができたし、パパは彼女や甥っ子達を見ると笑顔になった。

この日もパパはもうろうとしていて、うっとうしいのか、とても気だるそうだった。
リハビリもしたというし、頭も洗ってもらっていたが、パジャマは着替えてもらっていなかった。
看護師さんが、シャワー浴びましょうと言っても、いいと言ったらしい。

何に対してもやる気が起きないようだった。

パパを元気付けたくて、夕食時に子ども達に来てもらいたいと母にお願いした。


先生からお話があった。

新たにMRIを撮った結果、当初一箇所だと言われていた脳挫傷が小さい部分も含めて3箇所あるということだった。

しかし、それが今後悪くなることはないということだった。
そして先生は話してくれた。

  • まず退院して家に帰ること
  • 1人で留守番ができるようになること
  • 外出ができるようになること
  • そして、最終的には、復職できるようになることを目指して頑張りましょう

初めてだった。
先生が初めて、「復職」と言う言葉を口に出して下さったのだ。

その時の私は、実はやった~~!と飛び上がって叫びたいくらい嬉しかったのだ。

復職、ということは、治る見込みがあるということなのだと私は理解したからだった。

それまで自分だけで信じていたことを、先生に後押ししてもらったみたいだった。


夕食の頃になって母が子ども達を連れて来てくれた。

私はパパを元気付けたい気持ちが強かったから、子ども達がぼそぼそと話をすることに少しいらだってしまった。
子ども達もすねたような感じになってしまった。

その後母とも話をしたのだが、子ども達はあなた(妻)とはまた違う立場だからね、という話になった。
お父さんがこんなことになってつらい思いをしているところに、家に親はいなくて落ち着かないだろうし、あなたのことだって心配してるんだよ、と言われた。

そうだ、私はとにかく今は必死だけれど、子ども達は自分から何か出来るわけではないのだ。

私はちょっと先走ってしまったかな、と思った。

子ども達には、私はとにかくお父さんが治ることを信じて頑張るから、迷惑かけるけど、頼むねという様な内容のメールをした。

うまく言えないけど、とあったが、2人とも内容のある返信をくれた。

そして、子ども達に悪かったなと思うと同時に、母に対しても色々申し訳ないと思った。
それでも、助けてもらわないと、一人では何もできないから、申し訳ない、と思うことしかできなかった。


パパは、スポーツ刈りをしていた次男の髪が伸びたなあと言ったり、体はどこもなんともないのに、どうして仕事に行けないのか?と聞いてきたりしていた。

子ども達が帰る時には「頑張れよ」と激励し、母には「すみません」と言った。

嬉しさと情けなさとを交互に感じた日だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画を観ました

容疑者Xの献身

良い映画でした。

もちろん事件は起きるのですが

全体的には淡々とした内容で

でも眠くなるわけではなく
(チカパパがそうだったのだから間違いなく)

最後になって

そうかこういうことなのか
あれはそういうことだったのか
これはなかなかすごい!
という感じで
(ネタばれになるので具体的に言えないのがツライが)

私はラストでぐぐっと心をつかまれてしまった感強しであります。

福山雅治さんはかっこよく
(でもドラマの方がかっこよかったな)

堤真一さんは本当はもっと素敵なのに
(いや勝手なイメージであり本当の本当は分らないが)
役を演じきっていたし

北村一輝さんはドラマより露出が多かったから嬉しかったです。

福山さんと北村さんでは、しょうゆ顔とソース顔という感じで対照的なのですが、私はお2人ともとても好きです。

しょうゆといえば、週末に一時帰宅をしているチカパパを休日の最後の日に病院に送っているのですが、病院食はあまり美味しくないということで、夕飯は途中でチカパパが好きなラーメンを食べています。

それも毎週。

この日はやなぎやの黒味玉ラーメン(醤油味)

美味しかったし、ラーメンは嫌いではないけれど、毎週食べるなんて今までなかったこと、出来れば次は違うものを食べたいなあと私は思ったりしています。

それよりも退院することの方が重要なのですが。


1人帰宅して、玄関の鍵を開けようと思った私の目線の先に飛び込んできたのは、玄関扉にぴたっとくっついているヤモリ君!?

「きゃ~~~!」

思わず叫んでしまった私ですが、気付いたチカニイが中から開けてくれました。

ヤモリ君はキモ可愛かったけど
やっぱりコワイ。

でも、叫んでしまったけれど、ヤモリ君って、家を守ってくれるのではなかったかしら。

ごめんねヤモリ君
お願い我が家を守ってね。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

記録・9日目

週が改まり、私は仕事に復帰した。

4日休んだだけなのに、もう行けないんじゃないかと思った。

パート先はまったく違う場所なわけで、職場の人達と顔を会わせたら何て言おう、泣いてしまったらどうしようと思った。

課長に挨拶をして、席に着いた。
社員の女性が大変でしたねと声をかけてくれる。
少し話をしたら、彼女がみるみる涙目になってしまった。
私もつられて泣きそうになるが、何故か明るく振る舞ってしまう。

すごく気丈だし、ご主人には生きる気力があるんだと言われ、よく分からないがそうなのかなとも思う。

この日は何だか体がふわふわしているような感じだったが、やっぱり職場っていいなと思った。
気持ちが改まる。

この週はいつもより一時間早く帰らせてもらいたいとお願いをしていた。

パパはまだ人としっかり話せる状態ではなかったから、面会時間に間に合うように病院に行きたかったからだ。

昨日までは面会時間前から病院に行っていたのだが、「明日から仕事に行くから遅くなるよ」と私が言った時、パパは私が遅くなることについては何も言わず「どうして俺は仕事に行けないんだ?」と言っていた。

そのことが頭にあったので、仕事をしていても病院での様子が心配で携帯電話に意識が行きがちだったのだが、かかって来たのは、警察からの電話だった。

「犯人らしき人が見つかった。ご主人にお話を聞けるだろうか」という内容だった。

病院に行き、先生に警察から言われたことを話した。
面会は大丈夫だが、事情聴取は無理だと言われる。

そして、私は気になっていたことを聞いてみた。
事件のことを本人に具体的に聞いても大丈夫なのかと。

もう大人なので、構わない、同じことを何度も反復しているうちに思い出す、それは必要なことだ、ということだった。


この日のパパはもうろうとしていた。

看護師さんから、リハビリのための診察をしたと聞いた。
それから、お昼ご飯は自分で食べようとしなかったと聞き、少し落ち込んでしまった。

事件の話をしてみたが、覚えていないと言う。

夕飯は自分で食べた。
ケチャップ味のおかずと茶碗蒸しをおいしそうに食べていた。
途中からは私が食べさせたが、殆ど食べてくれたし、頂いてあった桃をむいたものも、フォークを使って自分で口に入れていた。

トイレも行った。
パパが眠るのを見届けて、良かった、という思いを抱いて帰路に着くことが出来た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

記録・頭部を強打するということ・1

先生からは、とにかく繰り返しが大切で、まずは今自分がどこにいるかを認識できるようにしましょう、と言われていた。

そして、「ここは○○」と地名を言えたら、それをまた次の日も言えるようにしていくことによって、記憶がつながり、社会との関わりが持てるようになるのです、ということだった。

カレンダーなども有効で、今日は何月何日で明日は何日で何曜日、ということも認識できるようになるといいと思いますよ

ということで、卓上カレンダーを持って行こうと思ったのだが、家にはなくて、さて困った一体どこに売っているのだろうと考えていたら、100円ショップに何種類もあって、選ぶことができた。

数字がそれなりに大きく、メモができて、動物の写真が載っているものを選んだ。

唐突に、今日何曜日?と聞いてきて、「火曜日か、明日は水曜日だな」ということは言えるのだが、それ以上のつながりとしての日時の感覚がまだつかめないようだった。

カレンダーの日付に○をして、ここが入院した日だよと何回か言ってみたのだが、分らない様子だった。

20年前に友人の仲人をやった時に頂いて、ずっと愛用している私とペアのダイバーズウオッチもなかなか腕にはめようとしない。

大体怪我をしたことが分かっていないのだから、ここは○○病院だよ、と言ってもなかなか理解できないのだろう。

それでも、ここは○○市の○○病院だよ、パパは頭に大怪我をして救急車で運ばれて入院したんだよ
入院してから8日経ったんだよ。
と具体的な話をした。

そんな私を尻目に、パパが話すのは「こんなに会社休んでいいのか?仕事に行かなきゃ」ということだった。


先生のお話からすると、食べたり、歩いたりという身体的な回復とともに、新しいことを覚えたり、次に何をするかを考えたりという部分での脳の機能の回復が見られないといけないのだなと私は理解した。

携帯電話のロック解除の暗証番号をすんなり押すことができたことに驚いたのだが、それは過去のことを覚えているということで、特別に喜べることではないと分かった。

看護師さんにも「失語症や言語障害があるかもしれないって言わたんですけど、喋ったからすごく嬉しかったんですよ」と話した時に「良かったですよね、でも失語症や言語障害と言っても、喋れたからそうではないということではないんですよ」と言われたことがあった。

そういうことなんだなと思った。

この頃は、今いる場所を認識することさえできなかったし、こんな状態で果たして記憶はつながっていくのだろうか、と思ったりもした。

それでも、メガネをかけてテレビを見る時間が増えて来たり、良い兆候だと思えることもあった。

興味がある内容の番組はじっと見ていた。

巨人対ヤクルトの試合をやっていて、点数が左上に出ていて、4対2でヤクルトが勝っていたので、「野球だね、どっちが勝ってる?」と聞いてみたら、たった一言だったが「ヤクルト」と言ったりもした。

それを聞いて、ああ、字も読めるし数字も理解できるんだ、と思ったりした。

こんな風に一つ一つ私なりに確認して行けることは嬉しかった。

大変だったが、やっぱり病院に行き、そばにいることは大切だなあと思った。

そして、今までのどんな時よりも今が一番長い時間一緒過ごせているなあと感じていた。それはとても幸せな時間だった。


看護師さんに「食事もできるし歩けるしトイレも行けるし、すぐオムツ取れそう、回復も早そうね」と言ってもらって嬉しかったり、決して楽観せず、でも前向きに、そう思わせてくださった、先生や看護師さんには、とても感謝している。

交通事故や怪我で脳を損傷してしまった患者さんは、目を開ける、自分を認識する、座る、歩く、噛める、飲み込める、そんな人としてのあらゆる機能を段階を追って、できるかどうかを見ていくのだそうだ。

パパは最初の段階はあっという間に出来てしまった。
あとは記憶だ。

ICUにいた時に、失語症や言語障害があっても、私達のことが家族だと分かって、私達の言うことが理解できればいいよね、なんてことを子ども達と話していたら、私の弟が「そんな…、大変なことじゃないか…」と絶句していたが、何故そんなことを普通に話せていたのか今でも分らない、でもそう思っていたのは事実だった。

よく分からないけど、パパについては、「驚異的に元気で、普通の人とは違っていたから絶対に治るよ」と友人も知人も会社の人達も、みんなが揃って言ったことだったし、私達家族もそう思っていたのだと思う。

根拠はまったくないが、そう思ってそう願っていたことはきっとパパに伝わっていたに違いないと思う。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

記録・8日目・2

昨日とても良くしてくれた看護師さんがこの日もいてくれて、会社の人が来ると言ったら、じゃあ髭もちゃんと剃ってきれいにしなくちゃねと言ってくれた。

髭はなんとか自分剃ってはいたがまだきれいには剃れていなかった。

午後になり、また頭が痛みだしたのだろう、パパは眉間にシワを寄せて難しい顔になっていた。

少し時間は早いけど、会社の人が来るからと痛み止めを飲ませてくれた。
私が気にしていることを、看護師さんが気遣ってくれているのが嬉しかった。

そして、ちょうど、洗面所で髪にドライヤーをかけてもらっているところに会社の人達がやって来た。

つまり、会社の人達が先に病室に入っていて、パパが看護師さんに支えながらもあとから歩いて病室に入って来ることになったわけだ。

ICUにいたことはもちろん知っていたから、みんな驚いていた。

この辺りの記録がないので、パパがいつ歩いたのか、はっきり記憶していないのだが

一般病棟に移る→車イスに座る→立つ→歩く

ということが毎日行くたびに更新されていたので、私もびっくりの連続だった。

一般病棟初日夜に私が不安を訴えた看護師さんだって「え~休み明けに来たらこんなに良くなっててびっくり」と言っていたのだから。

パパは笑顔を見せていて、誰が誰かを認識はしているようだったが、名前は分らないようだった。
ベッドに座っていても、何だか心もとなくて、寄り掛かっていても斜めになっているような感じだったが、何とか会話は成立っていた。


この日来てくれた人達は、事件当日一緒にお酒を飲んでいた人達だった。
飲んだ量はそれほどではなく、業者さんと一緒で、さらに一度事務所に戻って少しだが仕事をしてからの帰宅だったので、飲んでいたこと自体は問題ではないのだが、声を掛けたのが誰かは別にしても、飲んでいた人達は、おそらく心中穏やかではなかったと思う。

私はその日飲んでいたことを悔やむ気持ちはまったくなかった。

だってパパはお酒が好きで、飲みに行くことは珍しいことではなかったし、楽しいお酒の席が好きだったと思うから。

まだまだ記憶に関してはぜんぜんだったが、パパの顔を見てもらえて、良かったと思った。


この日の朝だった。
私が体重を量ろうと思ったのは。

5日目と勘違いして一度記事に書いて書き直したことなのだけど、そうそう、確かにこの日の朝だった。

3キロ減って、憧れの体重になっていたから嬉しかった。

1週間で3キロ。
つらい毎日ではあったけど、くたくたになっていたから眠れたし、食べたくない、と思うこともなかった。

でも、食べてもひとくちふたくちで、美味しいと思うのだけど、それ以上入って行かなかったから、食べないと体重って減るんだなあと思った。

パパに回復に兆しがあったので、体重はすぐ元に戻ると思った。

だからこの日以来怖くて体重は量れないでいる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »