2006/01/26

「山古志」地名復活

「山古志」地名9月にも復活

山古志を応援します、として、リンクさせてもらっている、たけぱんださんのブログのコメントから知りましたので、記事を探してみました。

長岡市と合併されて、どう呼んだらいいのかかなあと思っていたし、好きな地名だったので、良かったなあと思います。

今は雪で大変ですが、早く春になって、復興が進むことを願っています。

2005/11/01

生の声/山古志村

左上にある「山古志を応援します」に新しく「たけぱんだな日々」をリンクさせて頂きました。

たけぱんださんご自身は被災されませんでしたが、ご実家が山古志で、そちらのお家の方々が被災されたそうです。
ご家族それぞれの方のお話など、地震の起きた時みんながどうしたか、どんなことを考えたか、たけぱんださんが現地と連絡が取れずに心配していたこと、連絡が取れてからの、飛んで行きたいけど行けない状況、その後、たけぱんださんがボランティアに行かれた時のことなどが記事に書かれています。

たけぱんださんのブログは地震以前からのもので、地震直後に記事を書かれて、一年後の今また新たに記事を書かれているそうです。

私は子どもと、大きな地震が起きたら、ゲーム機とか、大切なものってどうなるんだろうね、なんて話をよくしていました。被災後の子ども達が体調を崩したりしていないか、どんな様子でいるのか、そういうことも記事には書かれていましたし、テレビで家族や親戚の姿を目にして、無事を知る、なんて事もあったそうで、被災者に「今のお気持ちは」とマイクを向けるマスコミは良くないと思うのだけど、映像を流す事でいい事もあるんだなあって思ったりしました。

どんなに大変だったか、でもみんなが頑張っていて、すごいなって思う事ばかりです。
生の声です。ぜひ聞いてみてください。

中越大地震を振り返って~現地入り前その3」にトラックバックさせて頂きますね。
たけぱんださん、これからもしっかり読ませて頂きます。
よろしくお願いします。

2005/10/11

旧山古志村の現状

10月10日NHKニュース『おはよう日本』より。

681世帯、2,163人。山古志村は2004年10月23日、震度6強の強い地震に見舞われ、全体の8割が家屋全半壊。建物の下敷きになって2人の方が亡くなりました。

14集落のうち、6集落158世帯は避難指示が続いています。
8集落523世帯は今年7月に避難指示が解除されているが、旧山古志村に戻って生活しているのは27世帯、49人。全体の4%に過ぎない。

●復旧作業が遅れていて、避難解除がされないのはどうしてか

  • 急斜面が多い地域では、地滑り対策のため、斜面を整備する工事に時間がかかる。
  • まず、道路復旧に時間がかかり、国道、県道が整備されても、生活道路が遅れる、その後に水道や電気、となるので、そこまでなかなかたどり着けない。
  • 住民達は、日中の限られた時間しか集落に入ることを許されていない。

●避難解除されても、住民が戻れないのはどうしてか

  • 建物が壊れていて、借金などをして、立て替えないと住めない。
  • 建物に住めても、田、畑、錦鯉の養殖池などが再開出来ない。
  • 子どもの学校が再開していない(建て直しは早くて来年9月予定)
  • お年寄りのいる家庭では、診療所が再開しないと不安で戻れない
                   ↓
     ◎公共施設が再開しないと住めない
     ◎生活の場が仕事の場なので、建物だけ直しても生活できない

今3つの選択肢があって
▲借金などで自宅再建
▲公営住宅に入居
▲山古志以外で暮す
   お年寄りたちは「どうすればいいのか?」と悩んでいる人も多いと言う。

復興を早める方策として

  • 生活の場の再建、基盤整備、田、畑、などの生業の成形。
  • そのために、住民達の知恵、技術も集める。更に、専門家、行政みんなで村の将来像を話し合って目標を持ち、持続可能な暮らしの実現。

と、話してはいたけれど、これはあくまで理想であって、現実に出来るのだろうかって思いました。また雪の季節がやって来ます。そうしたら、道路整備だって出来なくなってしまいます。昨年のように大雪にならないことを祈りたいです。時間ばかりかかって、お年寄りの方達は希望だってなくしてしまうかもしれません。自分達が守り育ててきた土地なのに、です。

でも、地震が起きて孤立した時も、住民みんなが助け合って救助を待っていたその力。今も仮設住宅の中でも、お互いを気にかけ、支え合っているその力。そういう力をはとても重要だってニュースでも言われていました。その力を信じて一日も早く穏やかな日々を送れるようにと願うばかりです。

我が家だったら、もう借金は出来ないし、どうするんだろうって考えました。でも、私は今の土地に生まれたわけではないし、旦那様は会社員です。だから、どこにでも、取り合えず住めれば、取り合えず仕事が再開できれば、それで一応はいいのかもしれないけれど、でも、山古志の人たちは、住んでいた土地は、生活の場であると共に生業(生活のもとでを得るための職業)の場でもあるから、だからこそ、戻りたい、だからこそ、戻れないのだなって思いました。

NHKでは、以前、夕方の『首都圏ネットワーク』という番組で、毎週金曜日に「三宅島情報」というのをやっていて、それもずっと見ていました。旧山古志村の事も、そのほかの被災地の事も、みんなが忘れないように、ずっと放送して欲しいと思いました。

2005/09/28

山古志の今を知る

私が2月に書いた記事『山古志村ふたたび』に恋鯉さんがコメントを下さいました。そして、恋鯉さんは錦鯉を通じて山古志村と交流があり、23日に山古志村に約一年ぶりに行かれるということを聞きました。

山古志村は、NHKドラマ「こころ」で見ていたのと、ネットで知り合った方の関係で、ネット上ですが、山古志村の美しい風景を見せて頂く機会がありまして、その時はもう声も出ないくらい綺麗だなあって思いました。写真集を購入するだけで、何も出来ない私ですが、今もニュースなどで山古志村の事が出ると、真剣に見入ってしまったり、やはり気にかかっていました。

山古志村ふたたび』の写真集は、その存在だけでも本当に美しく、ページをめくる毎に、心を揺さぶられる風景が広がっています。そのひとつひとつが、地震によって壊されてしまって、もう見ることはできない。だけど、ただの感傷ではなく、今考えなければいけないのは、そこに住む、そこで生きる、という、現実です。
恋鯉さんも言われているのですが、私たちは、自分の目で、山古志の今をしっかり見つめて、できる事を少しずつやって行くしかないんだ、と思いました。
また、被災地は山古志村だけではなくて、また、新潟だけではないこと。そして、いつどこで何が起きるか、いつでも自分が当事者になり得ることを忘れずにいたい、とも思いました。

被災地のために、今の私にできることは、募金、義援金、くらいしかありません。そういうことも時間の経過とともに薄れて行ってしまっています。ワンクリック募金をリンクしているのに、それさえも忘れがちです。恋鯉さんも言われていたのですが、「細く長く」続けていかなければいけないのにって改めて思いました。

私はブログを始めてもうすぐ一年になります。ブログは検索に引っ掛かりやすいということで、こちらに来て頂くことはとても嬉しいのですが、お役に立ててはいないだろうなあ、と申し訳ない気持ちがありました。でも、今回過去記事である『山古志村ふたたび』にコメントを頂けたことで、また山古志村への思いを新たにすることが出来て、ブログってすごいなあと改めて思い、とても嬉しくなりました。

いつも読んでくれている人も、たまたまここに来てくれた人も、この記事を読んで、山古志村のこと、新潟中越地震のこと、台風の被害のこと、スマトラ島沖地震津波のこと、色々な災害のことを少しでも思い出してくれたり、考えたりしてくれたらいいなって思います。

山古志の今(恋鯉さんのコメントより)
山古志村に行ってきました(9月23日~25日だそうです)
テレビや画像で見るより現場は
自然の驚異を肌で感じさせるものでした
はっきりいって 言葉が出ませんでした

地震があってもうすぐ1年が経ちますが
地震の後4mもの雪に埋もれ
その雪が解けて工事に着手したのが
今年の5月
その後6月の集中豪雨でまた土砂崩れ
本格的に工事が再開されたのは7月
現在全国各地から重機 ダンプが集められ
まずは寸断された道路の復旧が始まったばかりです
家屋や棚田 棚池はほとんど手付かずで
個人で進めている方もいます
この状態では復興のスピードは時間的な問題で
阪神淡路大震災より遅いかもしれません

少しでも早く山古志に穏やかな時間が流れますように!
          

恋鯉さんのHP

山古志ふぁん倶楽部

いつか、いつになるか分らないけど、山古志に行ってみたいと思っています。

がんばれ山古志

2005/02/22

山古志村ふたたび

山古志村ふたたび』中越地震復興応援写真集を買いました。収益がすべて復興基金に寄付されます。少しでもお役に立ちたいっていう気持ちと、写真がとっても優しかったから。だから皆さんも是非にと思いました。ページをめくりながら涙がポロポロ落ちてきて困りました。私が泣いたって仕方ないのだけど。

そして私の住む街。街って言うほど綺麗じゃなくて、でもごちゃごちゃしてるところが気に入ってたりしたけど、今は区画整理で跡形もない。あの家も、あのお店も、あのゴルフの打ちっぱなしも。みんな壊して、瓦礫の山。ここはどこなのって思う。大きくてまっすぐな道路が出来て、あの、私がつい最近まで見ていた景色はもうありません。

分かるけど、駅前はもし火事とか起きたら消防車が通れないくらい狭いってこと。改札口が一つしかなくて、タクシー乗り場もないっていう事は分かっているのだけど。だったらほんとにその部分だけやればいいのにって思う。道なりにすこ~し曲がってまた曲がって、そんな道を全部まっすぐにして。「ママ、どっちの抜け道が早いか競争しよ!」って言ってた道もなくなってしまう。何だか変です。